最終回。ニューヨーク(第20カ国目:アメリカ)
一日目
思えばこの旅行中何回バスに乗っただろうか。
最初はベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンまでだった気がする。窓の外は今まで住んでいた世界とは全く違うものでバイクの多さや平野の広さに驚きながらも高揚感を覚えていました。
あれから四ヶ月。バスが1番使った交通機関であることは間違えありません。時には椅子が硬く腰を痛めたり、時には満員の車内で外国人の僕のために席を譲ってもらったり。色んな思い出を作ってくれたバスに乗るのもこれで最後です。
アフリカ、南米とバスに乗りすぎて痔を作り血便が出た時は「もうバスなんて乗るもんか」と思っていたのに何故か名残惜しくて変な気持ちでした。
外を眺めボーっとしていると段々と景色が木々からビル群へと変わっていき、大きな川を渡るとアメリカ行きの飛行機で観たプラダを着た悪魔の世界が広がっていました。
マンハッタンに到着。
バスから降りた時は心が中に浮いた状態というか、まだ信じきれてないというか、ふわふわした感覚でした。自分がマンハッタンにいるなんて思えません。
そして、この日はカナダに留学している中学校からの親友が休みを取って会いにきてくれました。
予約していたホテルで待ち合わせ合流。
この旅行最後の目的地へと足を進めます。この時のニューヨークの気温は5度を下回り、スニーカーを盗まれてからサンダルで生活していた僕には少しキツかった。
uptown行きの地下鉄に乗り、最終目的地タイムズスクエアへ。
ここに立った時は少し涙が出ました。タイムズスクエアに着いたということは旅行の終了を意味しており、夢のような四ヶ月間、留学も入れると六ヶ月間に幕を閉じることです。
記念に友達とツーショット
写真を撮りタイムズスクエアを後にし、近くのバーへと向かいました。
久しぶりの再開に近況を報告し合い、中学校野球部時代の話に終始しました。一緒にバカやってた友達とニューヨークで会える日が来るなんて7年前は想像することも出来なかったなあ。
外見は変わっても中身は変わらず何でも話せる友達がいて幸せです。
この日は少し飲みすぎました。
二日目
昨日の酒のせいで頭が少し重い。。
何とか身体を起こしシャワーを浴びます。スッキリしてコンディションも上がってきたので行動開始。
友達は今夜の便でカナダに帰っちゃうので、それまで二人で観光しようと名所を回ることにしました。
最初に向かったのは世界で一番有名と言っても過言ではない銅像自由の女神
海にポツリとある小さな島に自由の女神はいます。ボートで近くまで行くことも可能でしたが、今回は時間の関係上近くから眺めるだけにしました。遠くで見るとお台場にあるものとあまり変わらない気が…笑
自由の女神近くの公園からはマンハッタンの風景が綺麗に見えたので、写真を撮ることにしました。自由の女神ポーズ
次は9.11の被害に遭ったワールドトレードセンターへ。
これが一番メインの棟。昔、ワールドトレードセンターは計六つの棟から成っており、それらはテロで全て全壊してしまいました。現在再建されたのはこの棟と慰霊碑の二つだけで全てが復活するのは2020年前後らしい。
下の画像の場所はグラビティゼロと呼ばれている慰霊碑。昔、ここにはメインタワーが建っていました。ワールドトレードセンター周辺ははオフィスタワーが並びマンハッタンでも特に栄えています。テロがここで起こったなんて信じられません。
犠牲者の方々に祈りを捧げて次の目的地セントラルパークへと歩き出しました。
様々なドラマや映画の舞台になっているセントラルパークは周囲10kmほどの広大な公園でランニングを楽しむ人、観光客を勧誘する人力車の人、家族連れで遊びにきている人など様々な人がそれぞれ楽しんでいました。
大都会の中にある緑溢れる広い公園はまさにオアシス。この絶妙なバランスがニューヨークをさらに品のある街にしているような気がします。
セントラルパークを後にし友達とはここでバイバイ。一生の思い出になった。ありがとう。日本でまた会おう!
三日目
この日が旅行最終日。
最後はニューヨークのまだ行ってなかった場所を観光することにしました。
マー君のユニフォームもバッチリ売ってました。
試合日ではなかったため、中には入れてもらえず。外からの写真です。
野球好きとしてはシーズン中、出来れば田中将大が先発の試合を観にきたかった。次回は時期合わせてチャレンジしてみよう。
この後は古着屋を巡りました。(写真が無くてすみません)世界一お洒落な街ニューヨークの古着屋はずっと前から行くことを決めていました。噂によるとこの辺りで仕入れている日本の古着屋も少なくないらしく、店内にはハイブランドからファストブランドまで安くてお洒落な服がところせましと並んでいました。
個人的に気に入ったスキニーとキャップを購入。二つで30ドル。安い!
買い物が終わると日は暮れて街灯が点いてきました。
それでは次が最後の観光地。エンパイアステートビルです。
数多くの高層ビルが建っているニューヨークの中でも群を抜いて高いのがエンパイアステートビルで、そこから見る夜景は街を360度見下ろせると評判です。
道路から見る夜景も相当綺麗ですが、これを見下ろすとなるとどのように見えるのか。楽しみでした。
地下鉄に乗り最寄駅で下車。ビル内でチケットカウンター、セキュリティゲート、エレベーターを経由し展望台へと上がりました。
そして展望台の外へと足を踏み入れるとそこにはこんな景色が待っていました。
ワールドトレードセンター方面
ジャージーシティ方面
ブルックリン方面
タイムズスクエア方面
ここで見た夜景は一生忘れないと思います。圧巻の景色でした。
帰り道は少し寄り道してもう一度タイムズスクエアに。どうしてもこの写真が撮りたかった。
最終日はこれにて終了。帰ってから飲むビールが最高に美味かった。
四日目
とうとうやってきてしまった帰国日。
朝に準備を済ませ無事チェックアウト。
フライトの時間まで宿でブログを書き、ボーディングタイムの4時間前に空港着。いつものようにラウンジでアルコールを飲みながらフライトを待ちます。時間になり無事に搭乗を済ませ着席。
12:15中国上海経由東京羽田行きが離陸。
バイバイ俺の旅行。
最高な半年間をありがとう。
総括
これにて六ケ月に渡る長い旅行が終わりました。
この計画を思い立ったのは大学一年のとき。友人に言われた「日本なんて大したことないことないぜー。アメリカの方が最高だよ」の一言でした。その時「日本が最高だよ!」と言い返したかったのですが、言い返すにも海外も日本も知らない僕は何も言えない。何故かその件を帰宅してから深く考え込んでしまい、解決する方法を考えている中で出た結論が日本一周と世界一周をして内と外を知ることでした。
旅行を終えて、僕はそんな言葉を言った彼よりも少し広い視野で判断出来るようになったのかなとは思います。ただ、今言い返すとすれば「人それぞれだよね」と言います。
色んな土地には千差万別の様々な魅力があって、どれを良しとするかは自分次第です。別に東京のように発展していなくてもミャンマーの田舎の方が幸せな生活を送れるかもしれない。もちろんアメリカが最高だと言っている人の価値観を否定する権利なんてあるわけもなく、むしろ尊重すべきこと思う。
どんな国のどんな人にも価値観を形成するうえで何かしらの理由が存在していて、そこがわかればどんな意見も尊重するべきな気がする。そこを理解する努力を怠らないように僕ら心がけていかなければいけない。
こうして僕の旅行は全ての工程を終え、無事に命の危険にさらされることもなく帰国出来ました。旅中に会った人には直接助けてもらいましたが、このブログ上で、またSNS上で励ましてくれる人の応援無くして旅行の成功はありませんでした。心より感謝しています。
今日でブログは当分お休みすることになります。またどこかへ行くときにでも書いてみようと考えているので、皆さんその時にお会いしましょう。
この長くて読みずらいブログを最後まで読んでくれていた皆さん!本当にありがとうございましたーーーー!!!!またどこかで!
(日本一周ブログのURLもこっそり貼っときます)
http://kabunotabi.hatenablog.com
家計簿
3/4
バス代(ワシントンD.C→ニューヨーク)
2815円程度(25ドル)
夜ご飯
900円程度(8ドル)
飲み代
2815円程度(25ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
宿
11250円程度(100ドル)
total
18400円程度(163.5ドル)
3/5
ご飯
675円程度(6ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
ウーバー
1685円程度(15ドル)
募金
560円程度(5ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
ピザ
560円程度(5ドル)
宿
3150円程度(28ドル)
total
8185円程度(72.75ドル)
3/6
メトロ
310円程度(2.75ドル)
メトロ
310円程度(2.75ドル)
ピザ
335円程度(3ドル)
帽子
1125円程度(10ドル)
スキニー
2250円程度(20ドル)
帽子2個
5065円程度(45ドル)
ピザ
335円程度(3ドル)
エンパイアステートビル
4165円程度(37ドル)
ビール
450円程度(4ドル)
宿
3150円程度(28ドル)
total
17500円程度(155.5ドル)
3/7
ピザ
505円程度(4.5ドル)
地下鉄
310円程度(2.75ドル)
地下鉄
310円程度(2.75ドル)
エアポートトレイン
560円程度(5ドル)
total
1405円程度(12.25ドル)
サクラの街、ワシントンD.C(第20ヵ国目:アメリカ)
一日目
遂に来てしまった…
United States of America!!!
降り立ったのはWashingtonD.C。世界の中心に今僕はいます。
ドナルド・レーガンワシントン国際空港。看板の下に見えるように、ワシントンにはサクラが数多く咲いています。聞くところワシントン市の代表的な花らしいです。まだ肌寒さ残るこの街で健気に咲いていました。
2週間前にはウユニ塩湖、3週間前にはヴィクトリアの滝、2ヶ月前には凱旋門、3ヶ月前にはタイにいました。今までの期間は約3ヶ月。数字で表すと短いものの僕の中では2年以上に感じるほどに中身の濃い時間を過ごしてきました。これで旅も終わりかと思うと寂しさがこみ上げてきます。
宿までは電車に乗って20分で到着。中心地のゲストハウスで料金は一泊2500円でした。「一泊2500円なんて他の国じゃ考えられない金額です」なんてオーナーに言うと、「あんたの国も同じくらいだろー!」と言われちゃいました。
調べてみたら本当でした…。最近は金銭感覚がおかしくなっていたのかもしれません。アメリカと日本の物価はほとんど同水準。改めて日本の物価の高さを実感した瞬間でした。
アメリカ一発目の夕食は値段を考えて近くのファーストフード店。
フライドシュリンプ、ポテト、ドリンクのセットで6ドル。ドリンクはMサイズで1L近くあり、これまでの国の中でもダントツのデカさだった。アメリカンサイズ。
ご飯を食べ今日は帰宅。ゲストハウスにいた宿泊客はドイツ人、韓国人、日本人。この三国の人は旅行を通して何人も見かけました。旅行が好きな国民性なのかなー。
二日目
昨日は移動で一日が終わってしまったので、今日はしっかり観光!
ワシントンD.Cはアメリカの首都であり、政府の主要機関が集中しています。大統領が住むホワイトハウスに最高裁判所、世界銀行本部、世界通貨基金本部など、この街が世界に及ぼす影響は計り知れない。
予定を一通り組んでから宿を出発。
まずは観光の前に臭くなった衣類をコインランドリーで洗うことからスタートしました。土曜朝のコインランドリーは待ち時間が出来るくらいに混んでて驚きました。洗濯機が家に無いのだろうか。
結局、待ち時間も含め二時間ほどで完了。
お昼ごはんはワシントンで働いている大学の先輩に連れてってもらい、お寿司をご馳走していただきました。今まで食べた料理の中でもトップレベルに美味しくて感動。この味が食べられるならワシントンにいても日本食が恋しくなることはなさそうです。
昼食を済ませ、いよいよ観光開始!
まずはこの街のランドマーク。ワシントン記念塔
アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンを記念して建てられたモニュメントで、高さは166m。周りは大きな公園で高い建造物も無いため圧倒的存在感です。
次はリンカーン記念堂。
全長5mはあろうかというリンカーン像が椅子に深く腰をかけています。像の大きさ以上に建物がとても大きくビックリ。これほどのサイズの銅像が鎮座しているのにも関わらず、東大寺のような圧迫感を感じませんでした。
次はいよいよホワイトハウス
正面玄関と違う場所には観光客向けに作られた博物館のような建物があり誰でも入ることが可能です。しかも入場料は無料。
ここには昔の記者用の席が展示されていました。博物館には記者の重要性について書かれたコーナーがあり、今の政権を見ていると考えさせられるものがあったなあ。
「there isn't any doubt that we could not do at all in a free society without a very very active press」
博物館を出て、いよいよホワイトハウス本体へ。
柵に囲まれ近づくことは出来ませんでした。大きさは東京ドームくらい。住むのにはデカ過ぎる。笑
ホワイトハウスは見るくらい以外に楽しみ方もなく少し時間が余ってしまいました。
そこで公園内にある国立アメリカ歴史博物館へ。
なんとここも入場料無料。中の写真は撮っておらず今回は画像無し。主なコンテンツは建国や移民の歴史でアメリカの歴史を学ぶには絶好の場だと思います。ワシントンに行った時には行くべし。
博物館をじっくり見て回っていたせいで帰るころには外は真っ暗でした。ワシントンはニューヨークなどと違い、治安が非常に良く夜歩けるほど治安は良くて快適で住み易そうです。
三日目
この旅行の最終目的地はニューヨークのタイムズスクエアと出発前から決めていました。そこに行くためにこれから高速バスに乗ってニューヨークはマンハッタンに向かいます。
ワシントンからマンハッタンまではバスで四時間。料金は時期によって変わり、早い段階でチケットを取ってしまえば最安1ドルのものもあるらしい。最初からそう聞いておけば早い時期から予約を取っていたのですが… 僕は前日に取ったため20ドル。
それでもwifにトイレさらにコンセントまで完備してあるバスは非常に快適で「このバスがアフリカで運行していたらもっと移動が楽しめたのになー」と妄想をしながら乗っていました。
次が最後のブログとなります。
ニューヨーク編へ
家計簿
いざマチュピチュへ…(第19カ国目:チリ)
一日目
ウユニからバスで10時間。ボリビアの首都ラパスバスターミナルに着きました。この時からバス内で仲良くなり、目的地が一緒だった一つ年上の大学生二人組と一緒に行動することに。
しかし、僕の体調コンディションはミャンマーでお腹壊した時レベルに悪化。。吐き気と下痢はピークを迎え、常にトイレを探している状態です。よりによって移動している時にこんなことになるなんて。幸い頭痛や熱があったわけではなかったため今後回復することを願って移動し続けました。
今日はマチュピチュ近くの大都市ペルーのクスコまで行く予定です。
クスコまではルートがいくつかあって、
①ラパス→クスコ
②ラパス→プーノ→クスコ
③ラパス→コパカパーナ→プーノ→クスコ
上記の三つが主要なものになります。中継地点が多いほど料金も安くなっていくため、 ②または③あたりが旅行客には人気です。さらにその二つに関しては南米一有名な湖と言っても過言ではないチチカカ湖を通ってクスコまでいくため移動と観光がどちらも楽しめてしまうハイブリッドなルートになっています。
どうせ来たからには、と料金内容含め1番お得な③を選択。
まずは国境近くチチカカ湖の畔コパカパーナ行きのバスを予約。バスの時間まで少し休憩している時、行動を共にしていた大学生のよしきさんからスポーツドリンクを分け与えていただき体力超回復。休んでいる間に身体が相当楽になり観光もしっかり出来るまでに元通りになりました。マジで神様だった、、、、、
道中は途中でバスから降ろされてチチカカ湖を渡ることに。バスは大きなボートにそのまま乗せられて対岸まで運ばれます。突風でも吹いたら一発で僕らの荷物もろとも沈んでしまいます。南米はやっぱ豪快!
乗客もボートで対岸に渡り再乗車。バスと自分達の荷物が無事で安堵しました。
バスは再び走ること1時間でコパカバーナに到着。近くにはチチカカ湖を探検するツアーを行っている会社がいくつかあったため、参加することに決定。余裕が無かったため、三人で手分けして全力でツアー会社を探しました。チームワーク良く1番安い会社を見つけ出し申し込みを済ませました。
しかし、、、、
このツアーは全工程4時間のうち3時間が船の移動。しかもその日の湖は右へ左へ上下左右にも揺れまくりの荒れた状態です。ただでさえ朝体調を崩していた僕は一時は持ち直したにも関わらず体調は悪い方向へと逆戻り。
船内では寝たきりだったので、ようやく島に着いてからは芝生で休んでいました。辺りを見回すと同じように船酔いした人達が芝生で休憩していて何故か嬉しくなった。笑
幸い天気と気温は良く、いい日向ぼっこになりました。
小さい馬的な何かがうろちょろ
謎のレンガ的な何かの周りをうろちょろ
45分で自由行動の時間終了。激短くて笑いました。
帰りはすぐに熟睡して何とか船酔いにもならずに下船。
降りてからはバスの停留所まで走り無事プーノ行きのバスに乗車。この時には僕たちのグループに同年代の日本人女性も加わって計4名で移動していました。旅行始まって以来のグループ行動はメンバーにも恵まれ楽しかった。やっぱり日本人と喋るのが1番楽しい。国境もみんなで越えました。
3時間でプーノのバスターミナルに着き、みんなで次のクスコ行きバスを予約しようとします。勿論目的はマチュピチュ。僕の中ではウユニ塩湖とマチュピチュはマストで行かなければならない場所で今後の人生で訪れることが出来るのかすらわかりません。
しかし、マチュピチュに行くためには険しい登山をしなければいけなく(一応楽な鉄道ルートもあるが、登山ルートに比べ料金3倍)自分の今の体調を考えるととても行けそうにありませんでした。この先のアメリカに行かなければならないことも考えると安全に度を終えることが優先だと考え今回は断念しました。チケットカウンターでアメリカ行き飛行機の出発地リマへのバスチケットを購入。
この日はみんなで同じ宿に泊まり談笑しながら眠りにつきました。
二日目
お昼にチェックアウトしみんなともお別れ。このメンバーと離れるのは惜しいけど、仕方ない。また会おうと約束してバイバイしました。
その後一人でバスターミナルに行き乗車。
過ぎ行く窓からの景色を見ながら自分の選択は正しかったのかと考え込みます。はたしてマチュピチュを諦めなければならなかったのか… それでも良く考えれそんなことここで考えても何になるわけでも無く、今は体調を治すことに専念し後悔するのは帰国してからでもいいのかなと結論に至り気持ちが楽になりました。
三日目~五日目
バスに揺られること28時間。リマに着きました。
宿に行くまでは少し苦労しましたが、何とか夜の10時ごろに到着。
それから三日間は体調を整えるためにゆっくり過ごしていたため特に書くこともありません。強いて言えばペルーの首都リマはブエノスアイレスに匹敵するくらい大きな都市で、しかも飯も美味くて最高だったこと。
この休暇で体調も回復し最後の目的地アメリカへは万全の状態で行けそうです。
ラスト一国。期待半分、寂しさ半分。次はワシントンD.Cへ。
総括
めちゃめちゃ楽しみにしていたマチュピチュに行かない決断をしてしまったペルーは正直なところあまり思い出がありません。それでも体調をしっかり治して南米を発てたのは1つ良かったことでした。
大事なところで体調を崩すのは様々な要因が作用していますが、振り返ってみると長時間のバス移動に加え生の野菜や現地の屋台メシを普通に食べるなど自己管理がなっていなかったことが一番の原因な気がします。
この反省を教訓にして、最後の国アメリカは楽しみ尽くす! 行くぜUSA!
家計簿
2/26
バス代(ラパス→コパカバーナ)
400円程度(25ボリ)
ツアー代
480円程度(30ボリ)
島入場料
160円程度(10ボリ)
チチカカ湖ボート代
40円程度(2.5ボリ)
トイレ代
15円程度(1ボリ)
お昼ご飯
320円程度(20ボリ)
バス代(コパカバーナ→プーノ)
480円程度(30ボリ)
入国カード再発行
800円程度(50ボリ)
宿代
860円程度(25ソル)
total
3820円程度(25ソルと168ボリ)
2/27
ビザ
450円程度(13ソル)
昼ごはん
330円程度(9.5ソル)
トイレットペーパー
35円程度(1ソル)
宿
1010円程度(9ドル)
total
2040円程度(23.5ソルと9ドル)
2/28
クッキーとファンタ
120円程度(3.5ソル)
インカコーラ
85円程度(2.5ソル)
晩御飯
690円程度(20ソル)
宿
1010円程度(9ドル)
total
1765円程度(26ソルと9ドル)
3/1
昼ごはん
690円程度(20ソル)
夜ご飯
690円程度(20ソル)
宿
1010円程度(9ドル)
total
2390円程度(40ソルと9ドル)
3/2
サーフィン
690円程度(20ソル)
ウーバー
690円程度(20ソル)
ドリンク
170円程度(5ソル)
宿
1010円程度(9ドル)
total
2315円程度(45ソルと9ドル)
まるで異世界。ウユニ塩湖(第18カ国目:ボリビア)
一日目
ケープタウンを発って五日。
やっと着きました。ウユニ村。
着いたのは深夜の三時です。バスで仲良くなったアルゼンチン人と24時間営業のホステルを探し回りました。何とか部屋を見つけてチェックイン。部屋に入るや否やベッドに転がりそのまま寝てしまいました。朝起きてから外を見回すと天気は曇っておりあまりコンディションが良いとはいえません。
僕とそのアルゼンチン人はこれからどうしようか迷いました。曇りを避けて塩湖を回るツアーには明日参加するか、今日参加するか。
とりあえず何件かのツアー会社を訪ね聞くと「塩湖の辺りは晴れてるよ!参加しなよ!」との回答が。とてつもなく怪しく疑っていた僕に反して、彼はノリノリです。
結局、晴れてることに賭けてとあるツアー会社で申し込みをしました。
ウユニ村は標高3500mの高地に位置しており非常に高山病のリスクが高いことで有名です。普通は薬を飲んで予防するのですが、何故かアルゼンチン人の彼は草を持ってきていました。
コレを口に含んで10分息をし続けると高山病の予防になるらしいです。高山病に対して何の対策も講じなかった僕は分けてもらいました。
時間になるとトヨタのランドクルーザーがツアー客を迎えに来ます。ツアー参加客はトータル7人。日本人、アルゼンチン人、チリ人、コロンビア人という内訳でした。
車内ではスペイン語の会話は繰り広げられ僕は完全に地蔵状態。時々「Shakira!」「informacion!」など知っている単語を並べ何とか存在感を出します。
走ること30分。とうとうウユニ塩湖に着きました。
写真で見ていた景色が、写真よりもさらに壮大な景色が目の前には広がっていました。 塩湖の大きさはおよそ新潟県くらいと言われており、想像を遥かに超えるスケールです。
出発前の心配が嘘のような晴天でした。
ジャンプをしてみます。反射して二人いるかのように見えます。
国旗が沢山立てられている場所があったので、みんなで集合写真。
ランドクルーザーも絵になります。
夕暮れ時は一層綺麗になります。
最後に取った一枚。
日が暮れたくらいで今日のツアーは終了。ずっと憧れていたウユニ塩湖は自分が地球にいることを忘れるくらい幻想的かつ壮大で感動しました。一度行けば二度、三度見に行きたくなること間違いなしです。
ただ、ウユニ塩湖に計6時間滞在してずっとはしゃぎ回っていたためジーパンとサンダルが塩水で真っ白に。宿に帰ってから塩まみれになって衣類を丁寧に手洗いし天日干し。今まで塩まみれの服など洗ったことが無かったので、きちんと落ちるか不安です。
洗濯も終わり一息つこうと思いベッドに寝そべった瞬間、寝落ちしていました。
二日目
久しぶりの熟睡。12時間は寝ていました。やっぱり寝るならベッドが1番気持ちいい。
今日ウユニの夜空を見に行くスターナイトツアーに参加する予定のため、日中は自由時間。街の散策をするわけでもなく、宿に引き篭ってパソコン作業を行って過ごしました。
ツアーの出発は明け方の三時。少し宿で仮眠を取り、ツアーに備えます。
三日目
眠い目を擦りながら二時に起床。起きれたことに一安心。笑
しかし、体調がどうにも優れません。吐き気が止まらないことから察するに高山病を発症してしまいました…。しかもそれだけではなく食あたりにもかかってしまい、ダブルパンチ。
力を振り絞って行った先は日本人御用達の有名なツアー会社。参加者も全員日本人でした。
昨日と同じ道をランドクルーザーで走り、撮影スポットへ到着。ここまでの道が結構荒れていて高低差もあり身体にはダメージが大きかった… ただ、そんな体調の辛さも吹っ飛ばす景色がそこには広がっていました。
この日は少し雲があり満点の星空とはいかなかったものの、星明りを反射する湖面は完全に絵の世界です。
夜が明け朝日が昇り空が段々と青色に染まってきました。
最後は参加者全員で決めポーズ
日中のツアー、スターナイトツアー共に全力でオススメ出来るツアーです。ウユニに行った際は是非どちらのツアーにも参加してほしいです。
宿に戻ってもう一度就寝。もうウユニで思い残したことはないので、今夜の夜行バスで次の目的地ペルーのクスコへと向かいます。
またバス移動…
総括
世界一周と言えば真っ先に思い浮かぶのがこのウユニ塩湖。初めてテレビで見たときの衝撃が忘れられずいつか行ってやると決め、今回達成しました。立地が悪く高山病にもかかりやすい。しかも天候の関係上晴れてる日が少ない。この景色を見るためにはいくつもの壁がありますが、その壁を全て乗り越えた先には現実のものとは思えない景色が待っています。間違いなく今回の旅行で1番の絶景でした。おそらくこの景色を超えることはこの先無いとも思います。
人生の中でもう一度チャンスがあれば、絶対に行きたい場所です。次は高山病の食あたりの対策をして。
家計簿
2/24
スプライト
55円程度(3.5ボリ)
朝ごはん
160円程度(10ボリ)
サンライズツアー代
2085円程度(130ボリ)
晩ごはん
240円程度(15ボリ)
宿代
800円程度(50ボリ)
total
3340円程度(208.5ボリ)
2/25
朝ごはん
110円程度(7ボリ)
お土産
640円程度(40ボリ)
パスタ
480円程度(30ボリ)
ニンニク
15円程度(1ボリ)
バス代(ウユニ→ラパス)
1600円程度(100ボリ)
total
2855円程度(178ボリ)
南米到着。鬼のバス移動地獄(17カ国目:アルゼンチン)
一日目
30時間超のフライトを終え、やってまいりました南米。
南米旅行出発の地はアルゼンチンのブエノスアイレスにしました。理由としては、ケープタウン発の便が安く、南米一の経済都市を一度見てみたかったというのがあります。
実はフライトはアルゼンチンに深夜についたため、この日も空港泊していました。空港泊、機内泊、空港泊と三日連続でベッドから離れています。
空港で向かえた朝は疲労のため全然気持ちよくない。ジンバブエからまともに宿で寝る回数がだいぶ減った気がします。
そんな今夜も宿で寝れる可能性は少なく、上手くいくとバス内で朝を迎えそうです。
空港から出て、市内を見て回るとアパートやマンションが沢山あり、統一感はないものの、綺麗に整備された清潔な街でした。ちなみに人口は1400万人。東京都とほぼ同規模です。
今日の予定はブエノスアイレスを観光するか、この旅で1番行きたかったウユニに向かうの二択でした。
迷っている中、少し街に出て気付くことがありました。
物価が高い。
日本と同じくらいそれより少し高いかもしれない…。ここで過ごすのは財布に結構なダメージをくらいそうだと判断し、今日そのままボリビアまで行く事にしました。
バスターミナルに到着。南米は高速バスが非常に発展しており、ここブエノスアイレスのバスターミナルには250社ものバス会社がデスクを受け付け窓口を設けていました。
ウユニ塩湖のあるウユニ村までは直行便が出ておらず、国境の街ラキアカで一度下車し、国境を越えてから再度ウユニ行きのバスを探す流れとなります。国境まではこのバス会社で行くことに決めました。
ほどなくしてバスの出発時間に。今日の座席はこのクオリティでした…
これが南米…か…。過度な期待は禁物のようです。これから30時間乗り続けます。
二日目
段々とお尻の感覚が無くなってきました。もう既にケープタウンを発ってから丸四日。身体は相当疲弊しています。
バスは遅れることなく国境の街ラキアカに到着。
国境を越えてすぐのところにバスターミナルを発見しウユニ行きのバスを予約済ませます。10時間のバスが800円ってわけわからない安さです。
800円はオンボロかと思いきや意外と普通です。走っている時に時々銃を持った軍人が入ってきて内部を見回りに来ていましたが特に何もありませんでした。
今日もバス泊。ああ、、、、、
次はボリビア編。ようやくウユニ到着です。
家計簿
遂にアフリカ最南端(第17カ国目:南アフリカ)
一日目
もう疲れた…
バスは走ること15時間。中継地点のヨハネスブルグへ到着。ここは世界最恐都市との異名を持つ危険地域でバスターミナルの外へ出ると殺されるとも噂されています。
そんな危ない場所にわざわざ足を踏み入れるほど勇気は無く、安全策を取ってバスターミナルの中で待機。ここまでの移動で既に40時間です。さらに27時間かけてケープタウンを目指す予定です。
アフリカの暑さで、体からは汗止まらないし、風呂には入れないし身体からは異様な匂いが発していました。洗濯物もろくに干せてなかったので、パンツは三日目。
もう不快感の極みのような状態でバスターミナルでは過ごしました。ここまで行動を共にしていた夫婦の方ともここでお別れし、ようやくバスに乗車。
車窓から見るヨハネスブルグの街は確かに雰囲気ヤバかった。
平日の昼間にも関わらず、ほとんどの店がシャッター閉めており、歩いているはゴリゴリのギャングみたいな男ばかり。危険な匂いしかしません。
それでもヨハネスは南アフリカ最大の都市で、少し北には首都プレトリアも位置しているほど栄えています。オフィスタワーは何棟も確認出来たし、経済の中心であることは間違えなさそう。大阪の西成みたいな位置づけだなーと思いながらヨハネスを通過します。
アフリカには中国の企業が沢山ありました。特にアフリカにはどんどん進出していると噂を耳にします。頑張れ日本ー!
途中にはアフリカの大平野だからこそ見られる景色が。
夕食にはこんなに豪華なチキンとポテトが出ました。最近は何が原料で作られたかわからない現地料理より、シンプルなフライドチキンやポテトを好むようになりました。
食文化理解<安全
完全にこの図式です。とりあえずアフリカは安全を優先しよう。
二日目
やっと目的地に着きましたーーーー!!!!
もうケープタウンに近づいてくると徐々にアフリカ感は消えていき、どんどん洋風な雰囲気になっていました。
天気は快晴、日差しの強さと比例して気温も非常に高かった。とりあえず臭すぎる自分の身体をどうにかしたかったので宿に直行。
汗、泥、血を全て洗い流し、新しい服に袖を通すと生まれ変わった気分になりました。本当です。俺めっちゃいい匂いする。
長時間の移動後にもかかわらず、何故だか身体はすこぶる元気です。
宿の管理人に近辺のオススメスポット聞くところ、宿から歩いて二時間ほどの場所にライオンズヘッドというライオンの形をした山を勧めてもらい、即行くことに決定。
着くまで二時間、着いてから二時中々険しい登山コースらしい。
でもそんなの関係ねえええ!
ノリと勢いに任せてケープタウンの街をせっせと歩き進みます。欧風な雰囲気の建物が並び非常に綺麗な景観です。道幅も広く歩きやすい。
これがライオンズヘッド
ようやく入り口の近くに辿り着きました。本当はこの看板を持ち上げてるみたいな写真を撮ってもらいたかったのですが、シャッターを頼んだ方にはその要求がよくわからなかったらしい。上裸で謎のポーズを決めるマジで謎の写真になってしまいました。
そして入り口に到着。ここからが本番。
ずんずん坂を上っていきます
約一時間の坂が終わると今度は岩肌を登るステージへ。未だ休憩無し。
最後は岩を駆け上がるステージ。体力的にしんどいけど、ここを昇れば絶景が待ってるはず。気合だあああああああ!!!!
宿からノンストップで登頂達成!
頂上に待っていたのは南アフリカを一望出来る絶景でした。
すぐそばにはテーブルマウンテンも
辛いこと経ての絶景は感動マシマシで泣きそうになりました。
ちょっといい感じの写真も撮れたところで下山。
登山に比べれば全くきつくもなく、頭の中は下山後のビールで頭が一杯です。
二時間半ほどで宿に到着。
ビールを飲み干すと同時にベッドに倒れこんでしまいました。
三日目
いよいよ南アフリカを観光出来るのもこれで最後。
やはり行くとすれば喜望峰です。
ケープタウン中心街から喜望峰までは約70kmあり、交通手段としては電車かバス、レンタカーの三択になります。
しかし、どの手段を選ぶにも結構なお金がかかります。料金的に選ぶと喜望峰近くの町まで電車でいってそこから20kmをサイクリングするルートが最安らしいので、そのルートを選んでみました。
この時までは「南アフリカでサイクリングなんて楽しいじゃん!」と心躍っていた自分がいました。
西フォールス湾を望みながら、終着駅のサイモンズタウンへと走ります。晴れてると絶景です。江ノ電のような感じ。
途中に何故か乗換えがあったものの二時間でサイモンズタウン着。ネットで調べていたレンタルサイクルの店に行きチャリGET。
喜望峰行きの地図はこんな感じ。
ケープタウンは道が本当に綺麗。海とのコントラストが映えます。
平らに舗装された綺麗な道は途中で終わり、それからはガタガタのアスファルト道。
写真はありませんが、普通の登山道のような急勾配の登り坂を自転車で上がるのはマジキツかった。あんなとこチャリで行く場所じゃない。
坂を越えるとやっと喜望峰のある国立公園の入り口に到着。入場料を払って入園。
ここからも長かった。一時間近く山を上がり下り上がり下り…。もう足はパンパンで動けないくらいです。それでも何とか喜望峰にたどり着くためチャリを漕ぎ続けます。
この道のつきあたりに喜望峰はありました。長かった。僕の後ろに見える灯台がみんが集まるスポットらしいです。
相棒のチャリ
灯台には主要な都市までの距離が書いてありました。この旅の最終目的地であるニューヨークまでは12,541km。自分があと三週間後にそこまで行くなんて全く想像出来ません。
この先にCape of good hope(喜望峰)という名が書かれたボードが立てられている場所があるのですが、そこまでの所用時間は2時間らしい。さすがにそこまでの時間は無かったので来た道を戻ることに。大きな坂道を登った往路とは違って帰りは下り道。行きに比べ楽に帰ってこれました。
宿に帰り、仕度を済ませ空港へ。
今日は久しぶりの空港泊の日です。早々に寝るのに適したクッション付きベンチを見つけ爆睡。
四日目
アフリカ大陸は今日で終わり。カタール経由でアルゼンチンのブエノスアイレスへと向かいます。
総括
アフリカでは1番の経済国南アフリカ。その姿はまるでアフリカとは思えないほど近代化されており、非常に暮らしやすそうな印象でした。道も広く丁寧に舗装されており、まるでヨーロッパのようです。そうゆうところはアパルトヘイトの名残が残っているのかもしれません。
しかし、今では僕の見る限り白人と黒人が共存している感じがして良い雰囲気だったと思います。アメリカのようにボーダーレスにもっとフラットな社会が築かれてけば、もっとアフリカの経済都市としての役割が大きくなっていくのかと思います。
個人的にも温暖な気候に陽気な人柄が好きで、将来住んでもいいなと思える国でした。また訪れたい場所です。
家計簿
世界三大瀑布ヴィクトリアの滝(第16カ国目:ジンバブエ)
三日目
長いバス移動と寝台列車を乗り継いで24時間。やっと着いた街
「Victoria Falls」
着いたのはいいものの、ジンバブエの洗礼をくらいます。寝台列車で寝てる間に何者かにスニーカーを盗難にあってしまいました。予備のスニーカーなんぞ持ってるわけもなく、今後の旅はサンダルだけで生活しなければいけないことが確定。
昨晩は二段ベッドの上で寝ておりスニーカーは下段の下に隠しておいたのですが、それでも取られるとは…。色んな場所で履き続け、何ならう○ちだって踏んだ汚いあのスニーカーを取ってどうするんだろうか。
幸い、この先は南米と北米に行く予定だしそんなに期間もない。気温に関してはアメリカさへ我慢すればスニーカーで行ける気がしたので、とりあえずオッケー。
警察所で盗難証明証だけもらって今日の宿へ。
シャワーを浴び、服を着替えたところで足の違和感に気付きます。
写真じゃ伝わりにくいものの、実際には足中に赤い虫刺され跡がありました。超絶痒い。この後掻きすぎて血が出てしまう箇所もありました。絶対ハラレの宿のせい。
荷物だけ置いてとりあえず、昼ごはんを買いに出かけました。
ジンバブエのご飯は美味しいものと不味いものの味がはっきりしていて、毎食選ぶのも一苦労です。ハラレで食べたハヤシライスからあまり美味しい食べ物に出会えていなかったため、今回はKFC。どこの国に行ってもあるし、安定の美味しさを提供してくれるここには本当に感謝しています。
昼ごはんを食べてから少し時間に余裕があったので、今日で滝まで行っちゃうことにしました。宿から徒歩20分。
ヴィクトリアの滝は幅1.7kmの巨大な滝で離れた場所からでもその水しぶきは確認することの出来るほど、水の量も多く非常に迫力のある滝です。入り口を過ぎ林道を進みます。
そして滝とご対面!
小学校の林間学校の時に行った日光で初めて華厳の滝を見た時もその大きさに衝撃を受けた覚えがありますが、今回ばかりは桁違い。
「うぉぉぉぉぉ」
「すげげげげええええええ」
一人で歓声を上げるほど感動しました。
他の場所から見てみると
水しぶきが凄すぎてもはや豪雨状態でした。。
海パンと速乾Tシャツを着てなければ、次の日着る服は無くなってました。危ない危ない。
宿に戻り濡れた衣類を干そうとしていると、日本人らしき男性と女性を発見。しかも同じ大学生くらいの見た目だったので、話しかけてみると、、
この二人組はなんと自分の大学の先輩で、卒業旅行としてここに来ていました。まさかアフリカのジンバブエで出会うなんて思ってもいなく、お互い意気投合。夜は一緒にご飯作ってお酒を飲みました。
何故ここなのか聞いてみたところ、二人は休学してワーホリに行っていたそうで、卒業旅行も海外で、しかも変わった場所が良かったということで、ジンバブエに決めたと教えてくれました。
そして忠告されたことが一点。「休学するとマジで友達いなくなるから覚悟しとけよ」と言われました。想像していたけど、いざ先輩から言われるとその重みが違います。
四日目
本日は夜の寝台列車で来た道と同じルートを通りブラワヨまで帰ることにしました。そこから目指すはケープタウン。喜望峰のあるアフリカ最東南端の地域で、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓するときに訪れた場所としても有名です。
朝、先輩達はザンビアの方へと向かうため、宿を出発しました。
無事に帰ってきてくださいー!
夜まではチケットの予約やブログなど宿内で過ごし、列車の時間を待ちました。
予定時刻の1時間前に出発。一昨日、スニーカーを盗まれたジンバブエ鉄道に乗車します。用心深く。
この時は、夫婦で世界一周をしている日本人の方とたまたま出会い、列車内にあるバーで飲みながら一夜を過ごしました。偶然にも南アフリカのヨハネスブルグまでルートが一緒らしいので行動を共にすることに決定!
夜中に乗っている電車が像を轢いてしまうハプニングもありましたが、無事到着です。
バスに乗り換えヨハネスブルグを経由し、ケープタウンへと向かいます。総移動時間は60時間。気合入れ直さないと、、
総括
初のアフリカということで、来る前は死の危険ばかりしていましたが、終わってみれば特にコレといった危険も無く無事に終えることが出来ました。僕の思うに日本人からするとアフリカはイメージが先行しすぎてしまう国というか、「サバンナがあって、ジャングルがあって、民族衣装の部族がジャンプしてて」みたいなことを想像する人が多い気がします。自分も行く前には相当な田舎と大自然を想像していました。
実際、ハラレに行ってみるとそこには高層ビルがあって、スーツ着たビジネスマンが歩いていて、普通の都市だったように感じます。片やバスで都市から離れるとイメージ通りの何も無い牧草地帯があったりもするわけです。
確かに、海外の方から日本はハイテクノロジーの国と言われているものの、行く場所が秋葉原ではなく鹿児島だと想像とのギャップに驚きます。それと同じ現象が起こってると考えれば普通のことなのかもしれない。
どんな国にも人にも固定概念から入ってはいけないなーと感じたジンバブエでした。
トイレ
とうとうやってきました。
草むらです。
雄大なアフリカの大地に向かって豪快にする爽快さは少し癖になります。なお大きい方は隠れてします。ティッシュを持参しないと大変なことになるので皆さん気をつけてください。。
家計簿