アテネは恋の落とし穴(第九カ国目:ギリシャ)
今日はアテネ編になります。
初日
まずは極寒のブルガリアから移動です。
今回利用するライアンエアーは激安のヨーロッパ限定LCC。この航空会社は通常フライトが朝早いか夜遅いかどちらかです。ちなみに今日は朝6時半に出発です。
機内では熟睡できたので、到着する頃には体力も回復。
ようやく到着したアテネは想像以上に暖かく、気温も10度を超えている模様。
ホッと一安心です。
通貨もユーロに戻るため、ゲートを出てからATMで引き下ろし、街の中心部へと向かいました。
世間のニュースなどには疎い僕でも近年ギリシャが経済危機に陥っていたことくらいは知っています。現状どうなっているのか、気になるポイントでもありました。
そんな心配は杞憂に過ぎず、中心街は想像以上に整備されていて、活気人満ち溢れていました。メインストリートは地元民、観光客で賑わっています。こんな場所が経済崩壊の危機に瀕していたなんて、、、
今日泊まったホステルは中心街から程近い場所に位置しており、非常に便利な立地。
自分の部屋に着いた途端、上のベッドで寝ていた女の子が話しかけてきました。この子の名前はVictoriaちゃん。中村アン似のスペイン人で年齢も同年代、着いて早々テンション上がります。んもうめっちゃ可愛い。
朝早く着いたため、今日は少し時間があります。ということで、街を散策。彼女に別れを告げアクロポリスを観光しました。
パルテノン神殿は丘の上、というよりも崖の上に位置しており、アテネの街に浮かんだ空中都市のようにも見えます。
ここまでは傾斜のある坂を上らなければなりません。最初は小走りだったものの、久しく運動していない僕はすぐ息が上がって歩いていました。
道中にはカラフルな家が建ち並ぶ坂道がありました。そこでコーヒー飲んでるオヤジ達が格好良い。なんでこうも絵になってしまうのか。こんな歳の取り方したい。
街には大小さまざま彩り鮮やかな建物が並び、見ているだけで気分が高揚します。小学校の音楽室で見たことのあるこんな楽器を自在に操る子供がいたりしてヨーロッパだなぁとしみじみ。
そうこうしている内に、パルテノン神殿の目の前へ着きました。所用時間は中心地から20分ほどです。
大理石造りの階段を上がり到着です。言わずと知れた古代ギリシャの最高建築
これが3000年も前に作られたとは信じ難いほど、精巧に作られており、古代ギリシャ建築のレベルの高さを示しています。昔の人はどのようにして資材を運んだのか。
白い神殿、青い空のコントラストが神秘的でゲームの世界に迷い込んだ気分にさせられます。温暖な気温も相まって石で作られたベンチに座ると時が過ぎるのも忘れ、この空間に浸れます。
塀から望む真っ白なアテネの街も綺麗です。雲ひとつ無い晴天。
もう全て回りきるとヘトヘトです。バルセロナ以来1週間振りの観光は天候にも恵まれて大満足でした。
二日目
昨日は快晴、そしてなんと今日も快晴。
アテネの温暖な気候は僕を自然に外へと向かわせます。今日も観光です。
二日目の目的地はリカヴィトスの丘とピレウス湾です。
最初の目的地、リカヴィトスの丘までは中心街から地下鉄、ロープウェイなど乗り継いで行くことも出来ますが、距離は2kmとさほど離れていないのため運動がてら徒歩で向かうことに。
直線距離は近いのですが、傾斜があるため体感的には二倍くらいです。でも、そんなの気にならないくらい天気がいい!朝日に照らされたアテネは清々しさを覚えます。
丘の麓まで行くと、徐々に岩肌が姿を現します。
ここからは緩やかな坂を昇ります。左を見ればアテネ市街。絶景だということはわかっているんです。でも、見たくない。見晴らしの良い場所に行く際はベストポイントまでは景色を見ないことがマイルール。
地面を見ながら階段を一歩ずつ進みます。
あとちょっと。
到着。丘の上には教会がありました。名はアギオス・ヨルギオス教会。
白い教会はアテネのイメージにピッタリ。
そして360℃のパノラマビュー。アテネの全てを見下ろすことが出来ます。
辺りを見回すと、アテネが山に囲まれた盆地だということを理解します。この地形があったからこそ古代ギリシャ帝国は敵の進入にも迅速に対応出来たのか。納得。
パルテノン神殿からの景色も最高ですが、神殿を眼下に見るエーゲ海とのコラボも壮観なものがあります。この奥には地中海、そしてアフリカ大陸があり、交易の面に関しても立地条件の整った都市だったことが伺えます。
今日は気温も景色も良かったのでついここに長居してしまいました。一時間でも二時間でも座って眺められるいい場所です。季節柄なのか観光客もまばらだったので、オススメです。
上から眺めるエーゲ海も良かったのですが、これは一度港まで行ってみたいという気持ちが出てきたのため、下山して地下鉄を使用し港まで移動。おおよそ30分で着きました。
地下鉄を利用する際感じたのは駅にいる係員の少なさと、電車の落書きです。ギリシャは地下鉄が国営のため、政府の財政状況が直接的に影響してくるのだと思います。
最寄り駅で降りると少し空が曇ってきました。折角海見るのに…残念。
曇りの港は…普通でした。笑
やっぱり海は晴れの日に限りますね。
しばらくして宿に帰宅。今日はホステルのみんなで飲もうという話になったので、参加することに。Victoriaちゃんから料理を作ろうと誘われたのでもちろん快諾。
彼女は手際よく、今日の夕飯もせっせと作ります。僕は横で微笑みながら眺めていました。
結局、手伝う隙も無く気付いたらご飯が完成。
その後はホステルのみんなで同じ卓を囲んでご飯です。
この時間がホステルの醍醐味だなーと思います。文化、国籍が違う人達とくだらない話からまじめな話までしていると、日本を少しだけ客観視できます。もっとこの視点を増やしていけばグローバル社会においての日本の魅力が見えてくるのかもしれません。
三日目
期待していなかった物が想像以上に良いと、実物が一層魅力的に写る現象は誰しも経験あると思います。
僕にとってはそれがアテネで、もう本当にこの二日間が楽しく出来ればこの場所から離れたくありませんせした。しかし、生憎今日のローマ行きチケットは既に予約済み。
ホステル出るときにVictoriaちゃんに今から発つことを伝えると、別れ際にハグしてくれました。
「んんうううわあああああ、離れたくないいいいい 」
と心の中で叫びながらゆっくり手を解き、「バイバイ」と言って宿を後にしました。
空港行きのバス内でもこの気持ちを抑えることが出来ず、空港に着いてからVictoriaちゃんのFBを開くのですが、
そこには彼氏らしき人とのツーショット写真が。。
そっとアイフォンをポケットにしまい、チェックインカウンターへと足を進めました。
総括
ボリューム多めのアテネ編これにて終了です。ギリシャは来るまでずっとマイナスイメージが先行していたものの、実際は凄くいい街だったように感じます。
中心街は活気に溢れ、食べ物も美味しく、物価もスペインより安い。白で統一されている家が太陽に反射して、キラキラ輝いていました。強いて言えば裏路地や電車の落書きが目立っていたくらいです。ただ、そこも物価と比例してしまえばそれ相応な気もします。
時期もあってか観光客も少なかったので、是非一度行ってみることをオススメします。運が良ければ可愛い女の子にも出会えるかもしれません。
家計簿
1/15
バス
725円程度(6ユーロ)
ケバブ
265円程度(2.2ユーロ)
パルテノン神殿
1810円程度(15ユーロ)
パスタ
605円程度(5ユーロ)
宿
1085円程度(9ユーロ)
total
4500円程度(37.2ユーロ)
1/16
ケバブ
580円程度(4.8ユーロ)
ビール
300円程度(2.5ユーロ)
宿
1085円程度(9ユーロ)
total
4340円程度(35.9ユーロ)
1/17
バス(アテネ市内→空港)
604円程度(5ユーロ)
total
604円程度(5ユーロ)
マイナス20度。ソフィア(第八カ国目:ブルガリア)
あれ、猛烈な雪が降ってるぞ…
今日からブルガリア、人生初の東欧です。
午後9時に出発した飛行機は悪天候のため上下左右に揺れるわ、いきなり電気は消えるわで「死」という文字が何回も頭をよぎるフライトだったものの、午後11時30分にブルガリアのソフィア国際空港に到着。
着陸後乗客全員が拍手し、カップル達はキスしまっくてたので、おそらく乗り慣れているヨーロッパ人にとっても異常自体だったのでしょう。
とりあえず、無事に着いてホッとしました。
荷物を受け取って外へ出るものの、外は猛烈な吹雪。
一度出たものの、一旦戻る。
でも、今日のホステルは既に予約済み。空港から脱出しなければ、、、
足取りは重く、時間はかかりましたが、ようやく空港の外へ。
タイツ二枚履き、スウェット、ジーパン、ヒートテック、フリース、ダウン、マウンテンパーカーのフル装備で寒さに備えたおかげで、寒さは大分軽減されました。
宿近くまで行きそうなバスを捕まえ、乗車。
下車してからは極寒の地を1kmトボトボ歩きます。中には凍っている場所もあるため、慎重に着地ポイントを選びながらの歩行です。完全に牛歩状態でした。
やっとの思いで着いたホステルの中は暖かくて天国でした。
いやぁ、、、天国だった。
風呂にも入らず次の昼まで爆睡。
起きて、一旦外へ出て状況を確認します。
やっぱり吹雪です。
行動するも何も、道路は雪で埋まってるし、何より寒いし、おかげで体調は悪いし、、
ということで、今日は引き篭って情報収集。
まず調べたのは、昨日の気温。そこで驚きました。なんと昨日晩の気温はマイナス20度。リアル冷凍庫です。築地にある魚保管用の冷凍庫と気温同じです。
バルセロナの昼間が17度だったので、気温差37度の計算になります。
実は、ブルガリアに訪れるのを決めた理由はバルセロナからのチケットが安かったためです。他の東欧諸国に行くには5000~10000円かかるところ、ソフィア行きはなんと3000円。破格だったため、チケット購入に踏み切ったものの、安かった理由はこの気温差だったのかもしれません。
このさむーい外温に反してシャワーが暖かいのがこのホステルのいい所。思い返せば、日本にいた頃も湯船の中でアイスを食べることや雪の日に入る露天風呂が好きでした。同じような感覚のような、そうじゃないような。
シャワーで少しカラダを温めてから、近くのスーパーへ。なんとビールが2リットルペットボトル一杯に入って200円。パスタ諸々買っても合わせて500円。
比較的、物価が高いと言われがちなヨーロッパも東欧は全く別物。東南アジアと同じ感覚で何でも買えるため、貧乏旅行者にはありがたい。
そして、帰ってきてから情報収集。
夜になると、料理、食事、片付け、ホステルの人達と会話。
そして就寝。
なんとこれが四日も続きました。笑
これには航空券の関係や、キャッシュカードの再発行手続きなど、諸々の事情があったのですが、さすがにもう少し外出するべきでした。とはいえ寒いので身体的に長時間外出はキツいのですが、、、
最後の一日は運よく晴れたので、現地の無料観光ツアーに参加しました。
ブルガリアは旧ソ連領のため、文字、文化、建築など随所に影響を受けている姿が見受けられます。この国の建築に関しては無機質でデザイン性の低い建物が多く、他の欧州諸国の人から見ると"つまらない"建築らしいです。
実際、バルセロナ、パリらの建物と比べると装飾の数が違います。
これらの建造物を回っている時には、ガイドの方がしっかり説明してくれるのですが、正直寒すぎてそれどころじゃありません。スニーカーに覆われた足は凍死寸前。
自動販売機も雪のせいで動いていません。
では、さらっとソフィアの名所紹介。
こちらは政府系の機関、ホテル、カジノが入った中心街のランドマーク的な建物
テナントが空いてたから全部入れちゃった。みたいな感じですかね、不思議な組み合わせです。
入り口には武装した門番の方が立っていました。寒い中ご苦労さまです。
この建物の内部にあったのが、
聖ゲオルグ教会
真ん中にあるレンガ造りの建物が本体。ブルガリア聖教の教会です。手前の雪が積もっているスペースは古代ローマ時代の浴場跡になっているらしい。
奇蹟者聖ニコライ聖堂
こちらはロシア聖教会の建物。なんだかミニチュアにして部屋に飾っておきたいデザイン。可愛いです。
最後はアレクサンドル・ネフスキー大聖堂
ブルガリア正教会の大聖堂で、正教会の中では世界最大級とのことです。雪で覆われた教会は美しく、太陽の光りが反射し輝いて見えます。
ツアーの終盤は寒さも限界を超え、終了後は宿へと直行。浴室では暖かいシャワーが僕を迎えてくれました。もうソフィアで思い残したことはない。
次は暖かい春から夏にかけての期間に訪れたいです。笑
次回からギリシャのアテネ編に移ります。二年前経済危機が怒りましたが、EUからの支援策を受け入れることにより、難を逃れたことは記憶に新しいです。
はたして現在はどうなっているのでしょうか。
総括
ブログ中何度も言ったとおり、ブルガリアの感想は"寒い"が第一。その次は"安い"です。実は2007年からEUに加盟しているのにも関わらず、使用されている通貨は「レブ」と言われる現地通貨。それが要因で物価が非常に安く、一食あたり100~200円で済ませられます。
観光客には嬉しい物価の安さも、現地人にとっては悩みの種。EU加入を機に優秀な人材は高給を求めて他国に流れるそうです。そう考えると、琴欧州が日本に来たのは優勝すれば一攫千金のジャパニーズドリームを夢見て来ていたのもしれません。
東欧の中には流量に喋る人も多数いるので、そのような人達がもっと日本に来て英会話講師なんてすれば…なんて思ったりもするのですが、どうでしょう。笑
兎にも角にもブルガリア含め東欧諸国は夏に行くのが絶対いいと思います。間違って冬に行くと、僕のように外に出ることさえ難しい状況になるかもしれません。もしブルガリアに訪れる予定のある方はお気をつけて。
家計簿
1/10
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
ケバブ
190円程度(3レブ)
飛行機(ソフィア→アテネ)
3035円程度(27ユーロ)
飛行機(アテネ→ローマ)
4860円程度(40ユーロ)
飛行機(ミラノ→バルセロナ)
4615円程度(38ユーロ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
13525円程度(4.5レブと111ユーロ)
1/11
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
食料(パスタ、トマトソース、水)
435円程度(7レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
1260円程度(8.5レブと6ユーロ)
1/12
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
夜ご飯
250円程度(4レブ)
ビール
125円程度(2レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
1200円程度(7.5レブと6ユーロ)
1/13
ツアー(チップ)
185円程度(3レブ)
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
1010円程度(4.5レブと6ユーロ)
1/12
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
825円程度(1.5レブと6ユーロ)
1/13
サンドウィッチ
95円程度(1.5レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
825円程度(1.5レブと6ユーロ)
1/14
肉、ミートソース
500円程度(8レブ)
ビール
125円程度(2レブ)
髭剃り、フォーム
185円程度(3レブ)
宿
730円程度(6ユーロ)
total
1540円程度(13レブと6ユーロ)
1/15
水
125円程度(2レブ)
タクシー
745円程度(12レブ)
total
870円程度(14レブ)
ではでは
移住したい街バルセロナ(第七カ国目:スペイン)
パリの次はバルセロナ。
こちらもまたヨーロッパを代表する有名都市です。
パリを早朝に出発した飛行機は2時間のフライトを経てスペインのバルセロナにつきました。
僕の通っている大学からバルセロナに留学している人は多く、仲のいい友人もその一人。
空港に着いてからというもの、まずは気温の違いでビックリです。真冬の1月にも関わらず推定15度はあろうかという温暖な気候。思わず仲に着ていたヒートテックを脱いでしまいました。そのくらい暖かい。
地下鉄に乗り、街の中心地へ出ると暖かさは一層増し、歩くだけで汗ばむ陽気です。宿のチェックインまで少し時間があったため、周辺を歩くと…
サクラダファミリアが!!!
普通の住宅街にひょっこりと現れるので少し驚きました。街の中心地でもなく、何の変哲もない場所に立っています。
近くの公園で一休みしてから、ホステルへ。
宿近くにあるスーパーではビール500mlが1ユーロ(120円)で売っており、もう天国です。勢いで2本買ってしまい、宿で飲んでしまいました。美味い。
二日目
今日はバルセロナに留学している友達に街をガイドしてもらいます。
トラブルもなく落ち合えたので、バルセロナ市内へGO。
まずは、今日から国を挙げてセールが始まるとの噂を聞いたのでまずは盗られたカメラを再購入。セールのお陰でカメラ、レンズ、三脚、カメラバックが入ったセットで450ユーロでした。即決で購入。
次はバックパック。
こちらはナイキストアにて54ユーロで購入。二代目バックも機能性を重視し、ポケットが多いものにしました。デザインもスマートでGOODです。
このあとから観光開始。ガウディ建築やカタルーニャ美術館を見て回りました。
そして、美術館の屋上のテラスから望むバルセロナ市街。これは広角レンズが欲しかった一枚。
オレンジとブルーのコントラストが美しい夕陽。風車と飛行機雲がいい味出してます。
最期は友達お気に入りのビーチへ。恥ずかしながら、バルセロナにビーチのイメージは全く無かったのですが、ライトアップされた綺麗なビーチがありビックリです。ゴミがほとんど落ちていない清潔に保たれた海岸にもビックリ。
最期はスペインと言ったらコレ、パエリアを食べて終了。もう食欲、物欲、観光欲まで満たされて大満足。久しぶりにありとあらゆる欲求が満たされた幸せな日でした。
三日目
今朝はガウディ建築で有名な「グエル公園」へと向かいます。午前8時30分までに入れば通常800円かかる入場料が無料になると聞けば、行くしかない。
友達の家からせっせと歩き、ギリギリで入場。ガウディの特徴である、直線を使わない建築方式や朝日に照らされるサクラダファミリアなど、見所満載でした。友達に感謝です。
その後はサッカーの聖地、FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウへ。
その後は友人と別行動。天気も気温も良かったため、海へと足を運びました。
一月上旬だというのに、上裸でビーチバレーしている人、ベンチでビール飲んでる人、海岸でギター弾いてる人、みんな思い思いの過ごし方をしていて、自分は異国にいることを実感すると同時に綺麗な海がすぐそばにある生活を羨ましく思います。
僕はハンバーガーを食べながら、ビールを片手に過ごしました。幸せ。
その後は友人と再度合流し、バルセロナの夜景を見に行くことに。既に日本の三大夜景は全て見たことがあったので、期待値はかなり低め。
バスで丘のふもとまで向かい、そこから徒歩20分。
とある遺跡にたどり着きました。人もまばらで整備された展望台などは存在しません。
しかし、そこは光り輝くバルセロナの街を一望出来る夜景スポットでした。
この圧巻の景色。
間違いなく今まで見た夜景の中でもダントツの感動でした。
この夜景を撮影した時はカメラを買い直して良かったと心底思いました。遺跡は観光地化されていないので、特に展望台があるわけでもなく、自由に見学することが出来ます。地面に寝そべったり、座ってワインパーティーをしていたりと楽しみ方は様々。
天気の良い日は毎日訪れたくなる穴場中の穴場。絶対行くべきスポットです。
次の日の朝、友達と別れ空港へ。
この後はブルガリアのソフィアまで移動していきます。
総括
留学してる友達がいたから、という理由で訪れたバルセロナは想像の遥か上を行く、素晴らしい都市でした。ビール1杯1ユーロの物価、サクラダファミリアを含むガウディ建、FCバルセロナの本拠地カンプノウ、温暖な気候に綺麗なビーチ。観光資源が揃っているのは前述の通りで、もう一つ驚いたのはインフラの充実でした。
車道に加え歩道も広く、5メートル感覚で置かれているゴミ箱のおかげで清潔に保たれた街。景観を害する電柱は全て地下に埋めており、かつ街中にはフリーWifiが飛んでいます。Simフリー携帯の所持率低い日本人には有難い限り。地下鉄、バス共に市内の隅から隅まで通っているのため、交通面では困ること無しです。欠点が見当たりません…。恐るべし、バルセロナ。
最近、日本からの直行便が就航し、アクセスも格段に良くなっているバルセロナ。卒業旅行で迷っている同年代の皆にもオススメです。
家計簿
1/6
メトロ(空港→ホステル)
125円程度(1ユーロ)
ケバブ
430円程度(3.5ユーロ)
ビール×2
250円程度(2ユーロ)
total
805円程度(6.5ユーロ)
1/7
メトロ回数券 10回分
1230円程度(10ユーロ)
カメラ
55340円程度(450ユーロ)
お昼ご飯
860円程度(7ユーロ)
バッグ
6650円程度(54ユーロ)
パエリヤ
1230円程度(10ユーロ)
お酒及び朝ごはん
1230円程度(10ユーロ)
total
66540円程度(540ユーロ)
1/8
帽子
2955円程度(24ユーロ)
BACOAのハンバーガー
615円程度(5ユーロ)
お酒
125円程度(1ユーロ)
スタバ
370円程度(3ユーロ)
total
4065円程度(33ユーロ)
1/9
メトロ
235円程度(1.9ユーロ)
宿
740円程度(6ユーロ)
total
975円程度(8ユーロ)
生涯忘れない年越し in Paris(第七カ国目:フランス)
いよいよ舞台はフランスへ。今日からヨーロッパ編スタートです。
初日
ようやく31時間のフライトを終えてフランスはパリのシャルル・ドゴール国際空港に到着。シャツ一枚で歩けたデリーとは打って変わって、ここは雪景色。気温はマイナス5℃。
東京を出発時以来の雪にヨーロッパに対する期待と同時にアジアが終わってしまう寂しさを感じてしまう。もう浮浪者に付きまとわれることも、トゥクトゥクのしつこい勧誘も受けないんです。
こちらの空港、荷物受け取り口に向かうエスカレーターだって白と黒で統一された近代的なデザイン。しかもライトは間接照明。無くてもいいデザイン、単純にお洒落を目的としたデザインがいかにもヨーロッパ。
もう、見るもの全てが綺麗でお洒落で、明治時代の志士達が真似したくなるのも納得!インドから来ると文明開化が起きた気分に陥ります。小汚い服装の僕は完全に場違いです。みんなコートの襟立ててます。
人生初のヨーロッパに感動しながらの荷物を受け取り、外へ出ようとすると…
凍えるほど寒い。
窓から見える外の建物はほんのり雪を被り、通行人は顔までマフラーをグルグル巻きにしています。ユニクロライトダウンとマウンテンパーカーを取り出して着るものの、まだ寒い。年末のパリ、恐るべし。
地下鉄で乗り継ぎ、本日泊まるホステルへ。
フランスは治安が悪いと評判だったため、今回は日本人宿へ宿泊しました。(しかもパリではここが最安)
長時間のフライト、寒暖差20度の気温で疲弊した僕はベットに横たわった瞬間、10秒もしないうちに寝落ちしてしまいました。なんと午後3時から朝7時まで爆睡です。泥になってように寝ていました。
二日目
今日は大晦日。この日の予定は前々から決まってしました。現在モナコで働いている高校の同級生と合流しパリで年越しを過ごすのです。一年振りの再会に胸が高鳴ります。
待ち合わせはこのホステル。予定の10時を過ぎても中々現れない彼を待ちながら携帯をいじるのですが、何か落ち着かない。
洗濯にでも行こうとコインランドリーに向かい、終了後、帰って来た時には同級生(以後:池田)は何事も無く、共有リビングでくつろいでいました。
扉開けた瞬間に「久しぶりー」とか言いながら熱い握手を交わすとか色んなプランはあったんですが、あえなく失敗。
しばらくして、お互い準備ができたところで。街へ出かけます。
建造物は古いフランスの伝統建築を残しているのに、このモダンで洗練された感じ。今まで見てきた情景とは全く違うのです。まるでマンガの世界に放り込まれた気分です。
3分毎のペースで「うひゃー」とか「うぉー」とか言っちゃってたので、思い返してみると、田舎モン感丸出しでした。まあパリっ子みたいにシュっとした顔で、シャキっとロングコート着て、フランスパンのバケット小脇に抱えながら歩くなんて元々出来ないんですけどね…
パリ散策を終え一つ迷っていたのは、年明けをエッフェル塔の前で過ごすか、凱旋門へと続くシャンゼリゼ通りで過ごすか。
判断基準はただひとつ。どちらが盛り上がるか。その一点。
ホステルの宿泊者に聞くところ、シャンゼリゼの年越しの方が凄いとの噂だったので、そうすることに。
午後11時半、駅周辺は同じ目的の人で溢れ、大通りは人、人、人で埋め尽くされています。ここで池田の友達も合流し、見晴らしのいいスポットカウントダウンまで待機。凱旋門から1kmくらいまでは人が詰まっていました。推定一万人以上!!
凱旋門はライトアップだけでなく、プロジェクションマッピングでニューイヤーを祝います。10秒前からカウントダウンが始まると盛り上がりは最高潮になり、年明けと同時に無数の花火が打ちあがりました。
演出のこだわり、人々の盛り上がり、華やかさなど日本とは全く異なる文化を体験出来て大満足。これは行く機会があれば絶対オススメ。
年越しを終えた僕らは近くのBarで軽くの飲むことになり探し回るものの、既にどこも満員で入店拒否されるか、法外な料金設定かどちらか。
結局、都合のいい店が見つからず、ケバブ屋に寄って腹ごしらえしてから帰宅することにしました。
入店し、ケバブを食べていたその時、何かに気付きます。
バックパックが無い…。
中には日本一周した時から支えてくれた一眼レフカメラが入っていました。(中には幸いIDカードなど個人情報の掲載されている物が入っておらず)この旅の中でも大活躍だったので、盗られると非常に痛い。
しかし、必死に店内を探して回りますが、どこにもありません。
時既に遅し、、、、、
とりあえず、近くにいた警察に助けを求めるも、明日来いと言われやむなく帰ることに。終電も無いため、仕方なくタクシーで帰宅。これも痛かった。
色んな意味で生涯忘れることのない年越しになってしまいました。
ということで、2017年最初に行ったことは、コタツに入り新年のお笑い番組を観ることでもなく、友達と凍えるような寒さの中でしりとりしながら並ぶ初詣でもなく、交番に被害届を提出することでした。笑
正月早々こんな被害に合っているのは僕だけかと思いましたが、意外にも同様の被害に合った人が集まっており、皆で「Happy New Year!」とジョークを飛ばし合い笑い合ってました。妙な連帯感が生まれホッコリです。
しかも、この後確認すると、海外保険に入っていたお陰で取られた商品分のお金は戻ってくることがわかっていたので一安心。
諸々の手続き等を考慮し決まっていたパリ発の航空券をキャンセル。滞在日数を5日まで延ばしました。
残りの期間はパリの街をゆっくり観光。歩いているだけでも何か発見があり、全く飽きません。歩いてる人はお洒落で、360度どこを見渡しても白塗りの伝統建築物。いい街だ。
以下、パリ観光をダイジェストでお届けします。
世界で一番有名な美術館、ルーブル美術館。
初見では美術館と想像出来ないほど、豪勢な外観です。
もちろん内部はもっと豪華。意匠の凝った装飾が細部まで施されており、世界一の評判にも納得。
世界で一番有名な絵画、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナリザ」
お次は古代ギリシャで作成されたと言われている「ミロのヴィーナス」。
正直、魅力はわかりませんでした。笑 芸術とは不思議です。
ルーブル最期はジュゼッペ・アルチンボルド作「四季」これも世界史の資料集で見たことある人多いはず。奇妙な見た目ですが、細部まで丁寧に描かれた野菜は製作者の技術が光っていました。
次はエッフェル塔!三年間バイトしていた東京タワーとそっくり。個人的にはオレンジに光り輝く東京タワーの方が好きです。
ベルサイユの薔薇で有名なベルサイユ宮殿! かの有名なルイ14世が住んでたお城です。もうめっっっちゃデカイ。東京ドームなんて比じゃない。
僕と比較するとこの通り。
最期は個人的にはパリで一番オススメスポットの"モンマルトルの丘"。晴れた日にはオレンジに照らされたパリ市街を一望出来ます。必見。
そして、もう一つ思い出深かったのが、泊まったホステルにいた旅行客のみなさんと過ごした時間。僕のようなバックパッカーもいれば、普通の旅行客、フランスに留学している学生、フランスで働いている社会人など多種多様な人と話したり、飲んだり、ゲームしたりと、パリにいることなんて忘れるほどアットホームな雰囲気で居心地が良かった。宿泊者の一人が誕生日とわかればみんなでお祝いパーティーする感じ、ここにきて日本人の暖かさを感じました。
基本的には折角海外にいるので日本人宿は避けようと心がけていましたが、実際泊まってみると日本人の心遣いに感動しっぱなしです。おそらくこれからも日本人宿には極力泊まらない生活を継続していきますが、どこに行っても日本人としてのマナーや思いやりの精神は忘れずに旅行を続けていこうと思います。
あっという間の七日間。早朝発の便のため空港泊を経て、
飛行機はパリからバルセロナへ。
シェンゲン協定加盟国はビザいらずで、飛行機搭乗が本当に楽です。
いざ、スペインへGO!
家計簿
2990円程度(24ユーロ)
総移動時間53時間。インド(第六カ国目:インド)
今回はバックパッカーの聖地、インド編
コルカタ→デリー→アーグラー→デリーと移動していきます。
一日目
昨日の夜9時に出発したバスは、コルカタへ朝9時着の予定でした。
が、
遅延に遅延を重ね着いたのは夕方5時。しょっぱなから20時間のバス移動になってしまいました。これかインドか。。
本当はこの日に観光しようと考えていましたが、あえなく断念。
着いてからは予約していたホステルへ向かい、次の日のデリー行き寝台列車を予約して就寝。移動日はやることがない。
二日目
泊まったホステルのベッドが思いの外寝心地良く、快眠。気持ちのいい朝です。
ゆっくり朝食を食べて、12時30発の便に向けて支度を済ませました。コルカタでは何もしなかったため思い入れもありませんが、ダッカに比べると西洋風の建物が並ぶ綺麗な街だったように感じます。
市内で最も大きなシアルダー駅は宿から1kmの場所に位置しています。7ルピーのバスに乗車し駅へLet's Go。
駅内外には売店がところせましとならんでおり、乗客は長時間の移動に備えて食料、トイレットペーパー、飲み物などを購入します。僕もサモサという固めのカレーパンを三つ買いました。(45ルピー)
電車に乗る準備も済み、残り40分を切っているので、自分の乗車位置に並ぶことにしました。外見から想像出来るように、駅構内も非常に広いので、プラットフォームを探すの一苦労です…というか中々見つからない。
10分探しても見つからなかったので、隣の人に聞くと、
「この駅には君の電車はない。ハウラー駅に行け。」
…!?
そうなんです。コルカタにはハウラー駅というシアルダー駅同様大きなハブ駅がもう一つ存在し、僕の取ったチケットはそっち発の便でした。二つの駅は5kmほどしか離れていないものの、駅間を結ぶ道が常に渋滞しています。
残りは25分、微々たる可能性に賭けタクシー乗り場へ向かいます。ぼったくりタクシーの運転主に「金は言い値でいいから出来るだけ早く行ってくれー!!」と伝え急いで向かいました。
しかし、努力も虚しくMisstrainです。正直、まだ観光もしていないし、もう一泊伸ばしてコルカタを観光してもいいのではないかと考えたものの、既に29日デリー発パリ行きのチケットは取得済み。今日のうちにデリーへと向かわなければならない状況。
そうなれば、モタモタ後悔してる暇なんぞ無い。急いで次の便を探さねば!
市内にある外国人旅行客専用窓口まで駆け足で向かい、今日18時発のチケットを無事ゲット。もう同じ失敗は繰り返したくなかったので、チケットカウンターのスタッフに
「これはシアルダー発だよね?本当?もう一回聞くけどシアル…」と何回も聞きなおしました。笑
列車は時間ぴったりに駅に到着。ようやくデリー行きの電車に乗車です。
この旅行始まって以来の寝台列車に興奮。
今回乗ったのは三等列車。
三段のベッドになっており、チケット購入時に座席が指定出来ました。僕はプライベートが守られている一番上に。
値段は2700円です。17時間の寝台列車旅がこの値段だと考えれば安いほうです。しかもご飯もしっかり付いてくので、安い方ではないでしょうか。
※ここのサイトがわかりやすいです。
【図解】インドの寝台列車、2等と3等を比べてみました! – インド号
シーツや枕などを準備していると、夕食が到着。ご飯は基本的に二種類のカレーに薄いナンが付いた献立で統一されています。画像のように食べる時は少し窮屈ですが、身体を上手くたたむスタイル。この表情に意味はありません。
ご飯食べながら隣の乗客と話し、食後はぐーたらして寝ました。横になって寝れるし夜行バスより何十倍もGOOD!
二日目
朝起きて食事を取り、ふと気付きました。
列車のスピードがかなり遅くなってる。
昨日はあんなに飛ばしてたのにも関わらず、この時はミャンマーの電車並みの遅さ。
これはもしや、と嫌な予感がし、乗客に聞くとその予感は的中。
現在、霧が原因で4時間遅延しており、今後この遅れが伸びるかもしれないとのことです。
前々からインドでの遅延話は聞いており、覚悟していたものの4時間は少し長い…。
ただ、他の旅行客に聞けば、22時間、30時間遅れたということも現実に起こっているらしいので、まだ許容範囲ですね。インドで長距離移動を考えている人は一日、二日余裕をみておいた方がベタかもしれません。
結局、列車は8時間遅れでデリーに到着。人生初の寝台特急は計26時間の大移動となってしまいました。
前日の18時30分に出発しているので、デリーに着いた時には既に20時30分。ホステルに着き、次の日アーグラー行きのチケットを予約して眠りにつきました。夜行バスの時と同じスケジュールです。こうして一日が移動で終わっていく…。
三日目
気付けば観光出来るのはこの日だけになってしまいました。インドに来る前からタージ・マハルには絶対に行くと心に決めていたので、今日はタージ・マハル編です。
しっかり、早朝5時に起床し、宿を出発。6時発の列車に乗り込みました。
デリーからタージ・マハルのあるアーグラーまでは約2時間。早朝の車窓からはサンライズが望めました。朝日が霧に反射して淡い光が空を照らす幻想的な光景。
到着した途端にタクシードライバーからの勧誘ラッシュ。一番手ごろそうな人を選び、周りの客とシェアして乗りました。四人で乗ったので一日貸切250ルピー。画像がそのタクシーです。
アーグラーにはタージ・マハルに加えて、アーグラー城というもう一つの世界遺産があり、この二つを周遊するのが定番です。入場料は500ルピー(約840円)、ちょっと高いかな。
外装はかなり豪華な赤レンガ作りになっており、周りの比べてもかなり異質な印象を持ちました。大きさも東京ドームくらいはありそうです。
なんと画像が外装までしかない…。すみません。なんと、外観に反して内側は白の大理石で作られてます。中央には大きく隅々まで手入れの施された庭があり現代建築と言われても何も違和感ありません。インドにいるにもかかわらず、ここまで綺麗で清潔感のある建物を見ると不思議な気分です。ここは入場料払う価値アリ。
次に向かうのは勿論、タージ・マハル
これ巨大なお城に見えますが、実はお墓なんです。昔の王様が大好きだった愛妃の死後に建造したとのこと。
愛の大きさを建物で表現してしまったのか、それとも自分の権力を示したかったのか。
どちらにせよ、僕が彼女なら「いい迷惑!静かに眠らせろ!」と文句をつけたくなってしまう。。何事も相手の意思を汲み取り自分本位にならないことを忘れたくないなと何故か自分を戒めてしまいました。
ちなみに、個人的には都会よりは景色のいい田舎で安らかに眠りたい派です。
この後はあたり周辺をブラブラしてから、同じ電車で帰宅。宿に戻ったのは20時でした。
帰ってから一つ問題に気付きました。
飛行機の出発が明日の朝6時。
この時間に間に合うためには早朝に宿からタクシーを使うか、今日の終電で空港に向かい、そこで朝の二択です。迷った挙句、僕はコストの安い後者を選びました。
地下鉄でデリー・ガンディー空港に行き、ベンチで夜を明かします。
実はここ世界でトップレベルに評判がいい空港です。
チェックインを済ませラウンジに入ると、
高級クラブに置いてそうなお高いソファがいくつもあり、
ついつい手に取ってしまう種類豊富なアルコールが陳列され、
インドの生活とはかけ離れた豪勢で洋風な朝食が並んでいました。
もしトランジットでこの空港を使用する機械があればラウンジをオススメします。
そして、いよいよパリ行きの飛行機へ。これからトランジット22時間(乗換え)を含めた31時間のフライトになります。
約一ヶ月に渡ったアジア編はここで終わり。舞台はいよいよヨーロッパへ。
総括
正直インドは移動メインの地点かつ目的もタージ・マハル以外無かったため、思い出はありません。よく汚い国と表現されるこの国ですが、僕の見る限りバングラデシュやミャンマーの方よっぽど汚いと感じてしまいました、あくまで主観ですが。僕が訪れた都市はどこも観光地化が進み、滞在し易かった。物価も安くて美味しいご飯が食べれるインドは僕の想像よりもずっといい国。次行くなら南部のIT街やムンバイあたりを周遊してみたい。
アジア所感
ようやくアジア編を終えました。(遅くなってすみません)この地域は発展途上が一つキーワードとし記事を書いてきました。実際に訪れて感じたことは、都市部の発展具合と比較した地方部の格差。そして文化、倫理、マナー教育の遅れかなと。ブログ中で何回も述べている通り、首都部は東京や大阪、名古屋と比べても大差ないほど発展しています。特にバンコク、ホーチミン、デリー。ただ、ひとたび都市から30分電車に乗れば、商店すら一つも無い田園広がる田舎を裸の少年が歩いている姿など確認でき、格差を如実に表しているなと。マナーに関してはゴミを道端に捨てたり、列に割り込む人、信号無視など、日本人の僕からすると少し気になる点が多かった。移民受け入れのことが議論されている昨今、このような人達が日本に来ると、僕達は少し距離を置いてしまいそう。これが正直な印象です。(そうじゃない人も沢山いる)この先グローバルな社会に適応するには日本に合わさせるのではなく、僕達側から寄り添っていく努力をすることが大切なのかもしれないなあと感じました。
家計簿
12/25
シムカード
420円程度(250ルピー)
タクシー
170円程度(100ルピー)
バス
10円程度(7ルピー)
ビール×2
340円程度(200ルピー)
夜ご飯
235円程度(140ルピー)
3Aチケット(コルカタ→デリー)
4380円程度(2600ルピー)
宿
675円程度(400ルピー)
total
6230円程度(3700ルピー)
12/26
バス
10円程度(7ルピー)
シンガラ
40円程度(25ルピー)
トイレットペーパー
40円程度(25ルピー)
タクシー(シアルダ→ハウラー)
675円程度(400ルピー)
バス
10円程度(7ルピー)
タクシー(ハウラー→GGバック)
505円程度(300ルピー)
3Aチケット(コルカタ→デリー)
4715円程度(2800ルピー)
ウェットティシュ
35円程度(20ルピー)
total
6030円程度(3580ルピー)
12/27
宿
840円程度(500ルピー)
ビール
505円程度(300ルピー)
飯
335円程度(200ルピー)
電車のチケット
4210円程度(2500ルピー)
total
5890円程度(3500ルピー)
12/28
タクシー
420円程度(250ルピー)
お城
840円程度(500ルピー)
タージマハル
1680円程度(1000ルピー)
荷物置き
70円程度(40ルピー)
昼ごはん
80円程度(50ルピー)
夜ご飯
200円程度(120ルピー)
シャトルトレイン
170円程度(100ルピー)
total
3460円程度(2055ルピー)
アジア編これにて終了。いよいよヨーロッパ!!!
ではでは
ファッションの街ダッカ 後編(第五カ国目:バングラデシュ)
本当は前回の記事を後編としたかったのですが、文量が増えすぎてしまったため、三つに分けてしまいました。笑
これで最後、バングラデシュ編です。
※諸事情により、一眼レフのデータが全て飛んでしまいました。
これより以後、インド編、フランス編と画像少なめでお送りしますので、ご容赦ください。
気付けばバングラデシュ滞在も8日を過ぎてしまいました。
ファッション工場見学、インドビザ取得、観光と充実した日々が過ぎ、次の目的地インドまであと二日と迫っています。
遣り残したこと、、、、、、まだある。
九日目
前の記事で説明したとおり、バングラデシュには服の生産過程を知るために来ました。
工場だけを訪問するのもいいけど、何か勿体無い。
そうだ。服飾専門大学に行ってみよう。
バングラデシュは服飾産業で世界第二位を誇るファッション大国。この国で服を専門的に学んでいる学生なら内情を知っているはずです。
調べてみると、ダッカ北部のUTTARA地区にありました。
この辺りは再開発が進んでいて、あちらこちらで高層マンションが建設されています。
目的の大学はこのビルの中に入っています。
BGMEA University of Fashion & Technology (BUFT)
ここでもゲートの前にセキュリティがいたのですが、建物前にいた学生に協力してもらい、入場成功。
入り口のすぐそばには在校生が作った衣装が展示されています。
学生の作るドレスは基本的に持続可能な材料を用いていたり、バングラデシュの伝統的なデザインをミックスしていたり、環境への配慮をした商品が目立ちました。このようなエシカルファッション的トレンドは万国共通で求められているのでしょう。個人的にバナナの葉っぱから作られたドレスが印象的でした。
ちなみにこれは人毛から作られたドレス。僕は不気味さを覚えました。
掲示板。小学校に置いてあるもののような手作り感。
ここはファッションビジネスコースの生徒が学ぶ教室。将来的には工場を統括する立場や海外との取引をする役職に就きたい人向けのクラス。学生のうちに服に関わる基本的な業務を理解するため縫製の授業が必修です。
将来を見据えているのかみんな英語がペラペラ。授業も全部英語で行われるため必死で勉強するとのこと。この必死さは見習わなければ。。。
そして、何やら重低音の音楽が上層会で聞こえたので、気になって入ってみると、
最上階でクラブさながら卒業ダンスパーティーが開かれていました。
イスラム教は飲酒は禁止。ということは生徒は全員シラフなのにDJの周りを囲んで踊っているわけです。パワーが違う。無茶振りによりソロで踊らされるハプニングなど込みで非常に楽しかったです。
この後数人と話す機会があったので、バングラデシュのファッション産業について学生に聞いてみました。
そこで感じたのは、皆この国の服飾産業に期待していて、将来的には俺が、私がこの業界をリードしていくという強い想いでした。アプローチはビジネス、デザインなど様々なものの、一人ひとりの熱量が凄かった。
バングラデシュの工場労働者問題などにも各自しっかり考えを持っており、この問題は改善していかなければならないと声を揃えていた上、ラナプラザの事件後から工場労働者の環境改善のために生徒が活動していると言っていました。
彼らがバングラデシュの服飾産業をよりよいものに変えていってくれることを願い、この日は宿へ帰りました。
十日目
長きに渡るバングラデシュ滞在も今日で終わりです。
今日の夜行バスで
へと移動します。
まずは偶然にも同じく今日、日本へと帰る宿を貸してくれた友人を空港で見送りました。ただでさへ宿代の高いダッカで無料の宿は本当に助かった。ありがとうございました。帰ったらお酒奢ります。
見送りが終わった後は、最後の目的地。
ファストファッション業界を大きく変えるキッケケとなった
ラナプラザの跡地にバスで向かいました。
ダッカ北西部にあるSAVARという場所に跡地はあります。
中心部から離れた場所にあるのにもかかわらず、人が密集している。
そして空気がどんよりとしていて、空は太陽により薄気味悪く照らされています。
バスの下車地から徒歩二分で到着。現場の前にはモニュメントと慰霊碑が鎮座していました。普通に歩いていれば気付かないほど街に溶け込んでいます。両脇では商店が営業しているくらいに。
この後ろにあるのが跡地です。現在は雨水が溜まったからなのか、池になっていました。
中にゴミが投げ入れられている様子を見ると悲しくなります。
事件から3年半が経ったラナプラザはここで1000人以上の死者が出てにもかかわらず、何も無かったかのように、静かだった。
この事件が再発しないようにと慰霊碑の前で祈りました。
その後は夜行バスの発着所へ。
バスはダッカを21時に出発しました。
コルカタに着くのは何時になるのでしょうか。
総括
個人的にこの旅行の中で一番楽しみにしていたバングラデシュは期待を裏切らない国でした。 街を歩けば車とリキシャのサイレン音、バスに乗れば執拗に絡んでくるおじさん、店に入れば注文してないのに出でくる無数の料理など、お思わず「ありえない。」と呟きたくなるマイナスの面も含めて。
個人的に、そこら中にある工場直産の衣料品店や、夕方になれば路上一面に現れる服の屋台など、服飾産業が発展しているからこそ見られる風景が楽しかった。その影響で現地の人は貧困な地域に行っても基本的にはシャツを着ているし、スラックスやジーパンでキメている人も沢山いたし。
産業、文化どちらにもファッションが根付いているバングラデシュは本当に行って良かった国。また機会があれば訪れたい。
服が好きな人はイタリアやフランス、ニューヨークに行くのもアリだけど、ダッカに来てみるのも違った楽しみを味わえてオススメです。
トイレ
久しぶりのトイレのコーナー。
前々回のブログでバングラ人はお小水を道端にすると説明しましたが、
大きな方はさすがに便器でします。夜行バスの待合所にあった、その便器がこちら。
地面に埋め込まれてるタイプで、通常和式に付いている返し(?)の部分がありません。
そして便器そのものが小さいため注意しなければ枠を飛び出す危険性アリ。
皆さんバングラに行く際にはくれぐれも気をつけてください。
家計簿
12/20
リキシャ
30円程度(20タカ)
CNG
1000円程度(700タカ)
お昼ご飯
60円程度(40タカ)
バス
45円程度(30タカ)
リキシャ
45円程度(30タカ)
携帯
16890円(11700タカ)
晩御飯
75円程度(150タカ)
total
18145円程度(12580タカ)
12/21
リキシャ
30円程度(20タカ)
バス
45円程度(30タカ)
お昼ご飯
45円程度(30タカ)
バス
45円程度(30タカ)
夜ご飯(ビリヤニ)
150円程度(100タカ)
total
315円程度(220タカ)
12/22
リキシャ
30円程度(20タカ)
お昼ご飯
45円程度(30タカ)
バス
45円程度(30タカ)
バス
45円程度(30タカ)
リキシャ
45円程度(30タカ)
コーヒー
290円程度(200タカ)
リキシャ
45円程度(30タカ)
チケット(ダッカ→コルカタ)
2300円程度(1600タカ)
バス
45円程度(30タカ)
リキシャ
60円程度(40タカ)
晩御飯
150円程度(100タカ)
total
3055円程度(2120タカ)
12/23
リキシャ
30円程度(20タカ)
お昼ご飯カレーパン、カレーパスタ)
90円程度(60タカ)
バス
45円程度(30タカ)
バス
45円程度(30タカ)
リキシャ
60円程度(40タカ)
夜ご飯
600円程度(400タカ)
total
870円程度(605タカ)
12/24
バス(空港→ベイプール)
45円程度(30タカ)
お昼ご飯
200円程度(140タカ)
バス(ベイプール→キャランプール)
150円程度(50タカ)
CNG(キャランプール→バス発着所)
360円程度(250タカ)
夜ご飯
今川焼き
35円程度(25タカ)
total
790円程度(545タカ)
次はインド編!
ではでは
バングラデシュの服飾工場見学(第五カ国目:バングラデシュ)
今回は通常とは少し違った回になっております。
バングラデシュのファッション工場ついて書いていきます。
このブログでは言っていませんでしたが、実はこの旅の中での一つの目的は”自分の今着ている服がどのように作られているか知る”でした。
中学生の頃からジャンル問わずコンビ二に置いてあるファッション誌は片っ端から読んでいたほど、服には関心があり、個人的にはバングラデシュの服飾製造工場とジンバブエのコットン農家を見ることはこの旅の中の大きな目標でした。
そのうちの一つということで、今回は少し長めの記事です。
服の工場の中に入るのが今回の目的。
しかし、バングラデシュに入国する1ヶ月前にアポを取ろうと工場にメールを送ったものの、返信無しの状況です。学生という身分がいけなかったのか。
そんなときは当たって砕けければいいんです。
宿からバスを乗り継ぎ、ダッカ北西にある
Baypaylまで行ってきました。
この地域にある今回の目的地はこちら!
EPZ(The Export Processing Zone)
バングラデシュで政府が運営する工場区域です。ここには世界各国の名だたる企業が工場を置いていて、工場一つの規模も他の地域にあるものと比べると段違いに大きいです。このような工業地域は国内に八箇所(ダッカ、チッタゴン、その他)あり、ここはそのうちの一つ。
プノンペンにあったPPSEZ(PHNOM PENH SPECIAL ECONOMIC ZONE)と同じように区域の前には大きなゲートが立っています。
といってもあのように立派で真新しい建物ではなく、古く寂れている姿が印象的。これがバングラっぽい。
出入りしている人は大きく分けて二種類。
スーツをバチっと決めているビジネスマンか、
民族衣装を着用した女性の工場労働者です。
中にはビジネスウーマンの方や男性労働者の方もいましたが、全体に占める割合はほんの僅か。
道には排水溝があり、工業排水やゴミ、糞尿などで強烈な匂いを発しています。
でも、僕の思うにここはまだマシな方。他の場所(普通の道端など)なんかもっと汚いです。
各工場の入り口にはセキュリティが立っているため、部外者は容易に入ることが許されません。しっかりと管理が行き届いています。
とりあえず片っ端から順に入ろうとするのですが、事前にアポも取っていなかったため訪ねたほとんどの工場で立ち入りを禁止されてしまいました。
しかし、幸いにも一つの工場の入り口でガードマンと話している際、責任者が通ったため話しを聞いていただけることに。結果的にはこの工場内部にも入れなかったのですが、責任者の方からフィードバックをいただけました。
どうやら今回の失敗要因は、
・アポが無い
・携帯の電話番号が無い
の二点。意外にも電話番号が無いのは致命的。実際、工場の方と何度か交渉していく中で電話番号があれば当日中に内部に入ることが出来たかも知れない…!!という機会が何度かありました。
「君の事本部に相談してみるから連絡先頂戴よー」みたいに言ってくれる親切な人もいるんです。
そして、今回も別れ際に「知り合いの工場なら見学出来るかもよ」と違う工場の責任者の電話番号をいただきました。
ここまできたら、何としてでもコンタクト取らなきゃ勿体無い。
バスで宿まで戻って近郊のショッピングセンターで携帯を購入。
買ったばかりの携帯で連絡すると、
その方から「明日ならOK」と返事が来ました。
次の日
いよいよ工場見学です。今日行くのはダッカ北部のGAJIPUR(ガジプール)という地域。EPZのように経済特区ではありませんが、服飾工場の多い都市です。
そして、今日訪問する工場がこちら。
※諸事情により工場内部の画像は削除しました。
でかい。デパートと見間違える大きさです。
やはりここにもセキュリティゲートがあり、最初はびくびくしていましたが、こちらの旨を伝えると、丁寧に中まで案内してもらえました。
お客様用の応接間に通され、工場の説明を受けます。
この工場で働いている従業員は約1000人。比率は男性が4割、女性が6割。工程によって割合は違い、縫製など細かい作業は女性が多く、染めやアイロンがけなど力仕事かつ危険が伴うものは男性が担当しているようです。
軽い説明が終わってから、
工場見学スタート
まずはパターン。服の設計所みたいな場所です。
この立体の服を平面の図面に落とし込む作業がここで行われます。この設計図を元に生地を裁断し、洋服を作っていくようです。
二番目はパターンの工程で作られた図面を元に生地をカッティングする機械です。日本で見たものよりも二倍以上大きく、工場の規模を物語っています。
三番目は服飾工場の要、縫製のパートです。一般的に工場と言われるとここをイメージするかと思います。このパートで働いている従業員のほとんどは女性。
一つのラインには50人以上の従業員がおり、仕事は完全分業制です。数ある生産工程は驚くほど細分化されています。一つの直線を縫うだけの作業に一人が就いているイメージ。
効率を重視した結果だとおっしゃっていました。このパートなら新しい労働者も一つの作業さえ覚えれば即戦力になれます。
四番目はアイロンがけのパート。僕達が服を買うとき服はしわ一つ無い綺麗な状態で売られていますよね。それはこの工程あってこそなんです。男性の方でもすばやく丁寧に作業しており、手馴れた手つきが目に付きます。
最後は布染めのパートです。高校の体育館ほどの面積を誇る部屋に地下鉄の車両一個分はあろうかという大きさの巨大タンクが数台並んでいます。 このスケール感は凄い。
ただ、室温は12月下旬の今でこそ20度後半といった具合でしたが、夏になると20~30度は暑くなりそう。実際に担当者の方も「めっちゃ暑い」と言う位ですので。
床は所々染料か薬品かわからない液体で濡れていました。
以上で工場見学は終了。
訪れたのは平均気温20度の冬季だったため、室温は比較的快適でした。夏になると暑くなるらしいので、今度は夏季にも行ってみたい。
僕が工場に着いた13時は従業員の休み時間で、14時30分まで続いてました。日本でも1時間半の昼休みを取れる会社なんて少ないのでは。床に布を敷き布団代わりにして寝たり、お昼ごはんを食べに行ったり皆さん各々の過ごし方をしていました。
聞くところ労働時間は9:00~18:00
バングラデシュの平均と同じくらいでした。
感想
私はここに訪れる前にバングラデシュの服飾工場に対してこんなイメージを抱いておりました。
・汚い
・暑い
しかし、実際はどうでしょうか。季節柄"暑い"に関しては判断出来ないとして、他の二要素に関してはあまり酷くはないように感じました。それも一度ダッカの街を見てしまうとなおさらです。EPZに関してはまともに舗装された道路に排水溝がしっかり付いているだけでも凄い設備だと思います。
もっと劣悪な環境で働いている人は沢山いるだうし(リキシャマン:常に車に轢かれる可能性を秘めているうえに低賃金重労働)、現地の服飾専門大生によれば、ラナプラザ崩壊事件以降、最低賃金は上がり(1.5倍~2倍)、労働環境も改善に向かっているらしい。
今までの勉強では自分達の労働スタイルと照らし合わせて、バングラデシュの工場は労働環境が悪いなどと学んできましたが、その国にはその国の働き方があり、単純に先進国と比較するのはナンセンスなのかもしれない。
勿論、今回紹介した工場だけが全てでは無いため、この記事だけを判断材料にしてもほしくないのですが、事実として、バングラデシュにはこのような工場もあると認識していただけると幸いです。
ということで今日はここまで。
長々と書いてしまいすみませんでした。
次回からはサクサク読める軽ーい記事を意識しますー。
ではでは