コットン畑求めて3300里(第16カ国目:ジンバブエ)
一日目
長―――――――いフライトを終え、ついに辿りつきました!!ジンバブエ!
イスタンブールからドバイでトランジット(乗継ぎ)更にザンビアのルサカを経由して辿り着きました。もうお尻がパンパンです。
着陸時間は夕方の6時。日も落ちかかり、アフリカで夜一人にされるのは危険すぎると焦っている僕を横目にめちゃくちゃマイペースでトロトロ動くイミグレーションスタッフ。効率の問題でもなく、ただマイペースに隣の従業員と談笑しながら作業を進めていっているだけの模様。
やっとのことでゲートを抜けたときには既に7時を過ぎ、日は落ちていました。 外に出るのも怖いので空港泊をすることに。
しかし、空港泊をさせてくださいと言っても中々許してくれない警備員。路頭に迷っているところ職員の方に助けてもらいました。「俺が乗せていってやるから乗れよ」と。本来ならタクシーに乗るところですが、タクシーすら信用していないアフリカ初心者の僕からすれば空港のオフィシャル職員の方が何倍も安心でした。
しっかりとお金を払い乗車。仕事にはしっかり対価が発生するのです。タダなんて甘い考えじゃいけない。。
やっとのことで着いた宿は想像していたアフリカよりもずっと綺麗な宿で一安心。お湯も出る、キッチンもある、そして大量の蚊も住み着いている、、、、、。
蚊帳なんてある訳も無く、頼れるのは分厚い毛布とパジャマのみ、でも夜の気温は25度。よりによって何故毛布なのか。
暑い思いをして蚊か身体を守るか、快適な思いをして蚊に刺されるか。虫除けスプレーも持ってないため仕方なく前者を選択。もはやサウナとも言えるベッドに汗びっちょりになりながら寝ました。
二日目
今日はミッション遂行のために街を散策する日。
宿自体が都市から近い場所にあったため、徒歩で目的地まで向かってみます。道中にはアフリカを感じるサファリ的な光景が…
あるわけでもなく、東南アジアの発展途上国のような風景が広がっていました。本当に違うのは人種くらい。歩いているのはほとんどが黒人。たまにいるアジア人はビジネス目的の中国人でした。そのため歩いているだけで子供から「ニーハオ、ニーハオ」とちょっかい出されます。
別に悪いことをしたわけでも、パスポートを無くしたわけでもなく、あることを尋ねたかったのです。
“ジンバブエのコットン農家の場所”僕はその情報を得ることを一つの目的として遥々ジンバブエまでやってきました。
以前のバングラディッシュ編でも書きましたが、この海外旅行の目的の一つは服が作られている過程を実際に見る。でした。そこで今回目をつけたのは服の原材料”コットン(綿)”です。おそらく皆さんが今着ている服のいずれかには綿で作られた物があると思います。
実はジンバブエはコットンの一大生産地として有名らしく、実際に見てみようと思いルートとしてこの国を選びました。
そして、大使館にいる方ならコットン畑の一つや二つ知ってるだろうと目論んでやってきたわけです。
日本大使館はハラレの中でも有数のオフィスタワーに位置しており、緊張しながら窓口へと足を運びました。
中で出迎えてくれたのは高知県出身の警察官の方。海外の大使館で働く日本人が普通の警察官ということにビックリ。また、僕の本籍が高知ということで話も盛り上がりいよいよ質問。
僕「ジンバブエのコットン畑の場所を教えていただけないでしょうか?」
大使館の方「今はもう無いよ」
僕「え、コットン畑はあるという話をネットでも見ましたし、現地の人もコットン産業はこの国でも主要な産業の一つだとおっしゃっていたのですが…」
大使館の方「私も最初はそう聞いていて、休日に奥さんと探しに行ったのだけれどもどこにも無かった。おかしいなと思って同僚に連絡したところ、数年前に起こった経済危機の影響で急に外貨が必要になり、コットン産業より利益率の良いタバコ産業にほとんど移行してしまったんだ。だから今あるのはほとんどがタバコ畑です。」
僕「わかりました……。」
まじか。
想定外の事態に驚き、とりあえず近くの美味しいランチのお店と次の目的地までのバスチケットの予約方法だけ聞いて大使館を出ました。
正直、コットン畑の事前調査はあまり手を入れてやっておらず、行ったら見れるものだとばかり思っていたのですが、爪が甘かった…。それではタバコ農家を、とも考えましたが、既にアフリカを発つ航空券は予約済みでスケジュールはキツキツ。どうしようかと考えながら、オススメされたランチのお店でハヤシライスを食べます。(約200円:お肉ホロホロでめっちゃ美味しい)
結論としては、次の日の早朝に移動することに。タバコ農家を見るよりもやりたいことがあったのでそっちを優先。
コットン畑を見れなかったことのショックよりも、自分に対するがっかりの方が大きかった。社会に出たらこうゆうとこ直してしかないと。
美味しかったハヤシライスを食べ終え、やることも特に無くなったため街を散策。乾いた熱い空気が身体に当たって汗がジワリと出てきます。
どうやらこのOKというスーパーが街でも特に大きなショップらしく、賑わいをみせていました。中は普通のちょっと大きめなスーパーといったところ。中に入ると物価が意外に高くてビックリ(350mlの缶ビールが200円)
実は、ジンバブエでは米ドルが流通しています。理由としては前述の経済危機の影響で自国通貨が廃止されたためです。今は政府が2米ドルと同等の価値を持つ新たな自国紙幣を流通させはじめ、切り替わっている最中。
ドルに伴い物価も急上昇。正直そんなに発展してるとも言いがたいこの国でひもじい生活をしなければならないのかと一人落ち込みました。笑
散策しても特に面白いものは見当たりません。宗教的な建物があるわけでもなければ、観光名所があるわけでもなければ、少しいかがわしい店があるわけでもない。ただ、街の雰囲気は独特で、何か張り詰めた感覚です。
道で露店を営んでいる兄さんもバーで昼から呑んでいるお姉さんも何だか怖かった。
想定外だったのは、銀行のATMに通貨切り替えの影響が出ており市内ほとんどのATMではお金が下ろせず中央にある決まった場所しか利用できなかったこと。結果50ドル下ろすのに2時間も並びました。さすがに不便すぎる!
アフリカに行けば壮大な自然と陽な黒人、そしてコットン畑に会えると思っていた僕は少し残念さ感じ宿に帰宅。
帰宅後にベッドでゆっくりしていると、隣のベッドから男性が声をかけてきました。
彼は国南部のブラワヨという都市出身の24歳。働き口を求めてこの街に来たようで、無事就活は終わり明日地元に戻るとおっしゃっていました。
彼はサッカーが好きらしく、僕にもその魅力をアピールしてきました。彼の1番気に入っているポイントは"人種差別が無いこと"らしく、白人、黒人、黄色人などが皆平等になり戦うその姿が彼の目指している理想の社会するからとのこと。
サッカーをプレイするために必要な道具がボールのみだから。というのが自分なりのサッカー人気の理由だったけど、そんな理由もあるのかと深く納得。フィリピンに留学してた時に出あったサウジアラビア人もパレスチナ人もサッカー大好きだった要因はそこだったのかもしれない。
目的のものは無くともこのように現地の人と喋って気付くことがあったなら、この国に来た意味は十分あったと思う。もっとコミュニケーション取っていかなきゃ。
三日目
今日は早朝からバスに乗り、まずはブラワヨへ。そこから夜行列車でヴィクトリアフォールズへと向かいます。そこはヴィクトリアの滝のある街です。
移動時間24時間!気合だぜ!
続く
家計簿
ヨーロッパの果て(第15カ国目トルコ)
いよいよヨーロッパも終了。今日からはアジアとヨーロッパの境目トルコのイスタンブールへと参ります。
一日目
二日間に渡る長い夜行バス移動を終えイスタンブールへ到着。
バス降り場から宿へと向かう道ではイスタンブールの発展度合いにビックリ。東京にも引けをとらない高層ビルの数々、交通網の充実など思い描いていたトルコのイメージとは反してそこは都会でした。
バスで乗り合わせたトルコ人から「イスタンブールは超都会だし、可愛い子いっぱいいるし、マジ最高の場所なんだよ!」と教えられていたものの、まさかここまでとは。
明日からの観光が楽しみです。
二日目
二日ぶりのベッドは僕の疲れを十分すぎるほど癒してくれました。最近はシャワーからお湯が出たり、ベッドで寝れたりするだけで幸せを感じます。
イスタンブールには五日ほど滞在する予定があったため、今日は特に予定は決めず、ただ歩こうと決めていました。
外へ出ると暖かい潮風が肌に当たって心地良い気持ちにさせてくれます。これまで寒い地域にいたため忘れていたこの感覚。
イスタンブールは観光メインのヨーロッパ側、そして居住メインのアジア地区に分かれています。
川沿いを歩きながら気付いたのはモスクの多さ。ヨーロッパは大多数の人々がキリスト今日を信仰しているところトルコ人はイスラム教です。決まった時間には街にモスクの音楽が街に響き渡ります。
旧市街と新市街を隔てる川には大きな橋がかかっており、歩いて渡ることが可能です。橋上には釣りを楽しむ現地の人や観光客、商人などで常に賑わいを見せています。ヨーロッパにはこのように活気溢れた光景を見ることが少なかったため、どこか懐かしい気持ちに。
今日は散策した後、アウトドアショップに行き壊れた備品などを調達。
次の日は雨が降っていたため何も出来ずに宿でチケット手配などを済ませました。
四日目
ここイスタンブールは東京から10時間ほどの距離にあり、ちょっとやそっとじゃ行くことの無い場所です。それにもかかわらず、先輩から「遊びに行くわ」との連絡があり、今日はその日です。早朝7時に待ち合わせ合流。しっかり会うことができ感動。
折角一緒になったので、本日はルートを決め観光を楽しむことにします。宿に荷物を置き向かった先はブルーモスク。イスタンブールで最も有名な観光地の一つです。
思ったほどブルーではない色味よりもその大きさに感動。国民に宗教という感覚が根付いていることに日本との違いを感じます。
次はアヤソフィア。イスタンブール人気観光地の双璧を成すもう一つの人気モスクです。他の国で見たものよりも大きく、装飾も華やかでした。観光だけの目的ではなく、もちろんモスクとしての機能も果たしているため、中は観光客と信者の方が入り混じっています。
ここで昼食。イスタンブール名物のサバサンドを食べます。中々インパクトのある見た目が食べるのを躊躇させるものの、いざ口に入れるとホクホクとしたやわらかい身からコクのある汁が染み出して美味しい。
ボリュームもあったためお腹もしっかり満たされました。来たら絶対食すべしです。
この後はガラタ塔に登ることに。ここからの夜景が綺麗だと地元の人に教えてもらいました。一眼レフを持っている方なら納得してくれると思うのですが、綺麗な夜景を撮るときが一番テンション上がります。
日中に写真を撮っても、携帯カメラの性能が驚くほど向上している今ではあまり差がつきません。いわば夜景ショットは一眼レフだけが綺麗のその姿を写すことの出来る特権なのです。そうして意気揚々とガラタ塔に登った僕らは夜景も楽しみながらカメラに夢中になっていました。
どうですか、この夜景!笑
こんな写真が撮れるとカメラが手放せなくなります。
最後はトルコ名物アダナケバブを食べにレストランへ。
一般的に日本でケバブと言えば、野菜、鶏肉などを薄くしたナンようなもので丸めたものとされていますが、こちらでは大きな一枚のプレートに長細い一本の牛肉で作られた棒、野菜、ご飯が乗っている食べ物をケバブと称します。(というかこれが本場のケバブ)
日本のようにファストフード的な感覚ではなく、デートの席でもいただける少ししっかりとしたディナーのような立ち位置です。
牛肉のジューシーさにピリ辛のサルサソースが絡みご飯を食べる手が止まりません。通常外国ではボリュームのある安い食事を食べると栄養が極端に偏ることや野菜が全く取れないものの、このプレートには全ての栄養素がバランスよく揃っており連日ぺぺロンチーノばかりを食べ不健康を極めていた僕の身体は歓喜していました。
夕食を済ませホテルへの帰路ではネオンが煌々と光っています次の目的地はアフリカ。そこにはこんなにキラキラとした照明はあるのだろうか、パスタを作れるキッチンをあるのだろうか、スーパーはあるのだろうか、お湯の出るシャワーはあるのだろうか、、、
不安になってもしょうがないのはわかってても、不安にならざる終えないアフリカ。
ベッドの中でも何かを恐れている感覚は拭いきれませんでした。
次の日の早朝、先輩とお別れ。一日だけだとあっという間です。
それからは気持ちを切り替え準備を入念に行いました。セキュリティポーチには身分証のコピーを入れ、現金400ドルはメインバックとサブバックに分け、トイレに困らぬようペーパーを1ロールバッグの中に忍び込ませました。これで大丈夫。
さあ、いよいよ出発です。乗り換え含めると35時間超のフライト。大陸を越える移動は気分が高まり、特に離陸の瞬間は昨日までの不安が嘘のように胸いっぱいに高揚感が溢れていました。
ジンバブエのハラレへLet's go!
総括
日本人にとっては馴染みの深いイスタンブールは観光地が点在してご飯も美味しいです。(トルコ料理は世界三大料理に数えられているほど)人々の気質もフランクで明るく思わず気を許してしまいそう。この文面だけ読むと一見良さそうな気がしますが、僕はあまりオススメしません。
最近頻繁に起こるテロと学生によるデモのせいで至る所に警官が立っているため街には少し不気味な雰囲気が漂い、親日と評判になっていることに味を占め日本語を巧みに操りしかけてくる詐欺が多発。宿にいた日本人はバーで10万円もボったくられたと言っていました。
上述の事件が沈静化されるまではあまり行くのを薦められないのがこの街かもしれません。観光資源が豊富なだけに勿体無い印象でした。とはいえこれは一個人の意見のため参考までに。ちなみに次訪れるときにはカッパドキアやパムッカレに行ってみたいなー。
家計簿
2/2
タクシー代
1555円程度(50リラ)
宿代
560円程度(18リラ)
total
2110円程度(68リラ)
2/3
アダナケバブ
450円程度(16リラ)
財布
1835円程度(59リラ)
セキュリティポーチ
1555円程度(50リラ)
ビール2本
370円程度(12リラ)
宿代
560円程度(18リラ)
total
4770円程度(153リラ)
2/4
ビール2本
370円程度(12リラ)
スタバ
250円程度(8リラ)
カフェ
310円程度(10リラ)
宿代
560円程度(18リラ)
total
1490円程度(48リラ)
2/5
昼ごはん(ケバブ)
310円程度(10リラ)
ビール2本
375円程度(12リラ)
カフェ
310円程度(10リラ)
宿代
560円程度(18リラ)
total
1555円程度(50リラ)
2/6
ハンバーガー
110円程度(3.5リラ)
サバサンド
250円程度(8リラ)
レモネード
45円程度(1.5リラ)
電車
125円程度(4リラ)
船
125円程度(4リラ)
ケバブ
125円程度(4リラ)
ビリヤード
95円程度(3リラ)
ウイイレ
60円程度(2リラ)
船
125円程度(4リラ)
晩御飯(アダナケバブ)
650円程度(21リラ)
total
1710円程度(55リラ)
2/7
水
15円程度(0.5リラ)
バス代(タクシム広場→空港)
375円程度(12リラ)
充電ケーブル
2420円程度(20ユーロ)
total
2810円程度(90リラ)
思わぬ出会い。(第14カ国目セルビア)
割とふかふかとソファベットに寝ていたにも関わらず、疲れが取れない。原因は深夜に行われた入国審査。夜中の二時に部屋の明かりが点ったかと思えば、脇に銃を抱えた警察官が部屋内に入ってパスポートのページを求めてきました。
そのせいもあってベオグラードに着いた瞬間宿へとダッシュ。駆け込んでからはシャワー浴びて泥のように寝ました。
三時間ほど眠ると空には晴れ間が差し込んでいます。予定では今日の夜行でブルガリアのソフィアまで戻る予定だったため、それまでの間観光することに。
セルビアと聞いてもピンと来る方はそう多くないはず。以下の場所に位置しています。
実はこの国2006年までは「セルビア・モンテネグロ」という名前でしたが、国内で行われた国民投票の結果、一つの国として独立しました。公用語はルーマニア語です。
話は逸れましたが、今日は天気も良く意外にも気温がさほど高くなかったため市内を散策することに。物価がかなり安く、何を食べても300円でお釣りがきます。東南アジアでもそうでしたが、あまりにも安い物を食べていると「本当にこれは安全なのか」と疑わずにはいられません。
ピザ二枚にレモンジュースが付いて150円でした。しっかり具の種類が豊富かつ焼きたてで提供されるあたりがむしろ怖い。
見た目通り味は美味しかったです。
食欲も満たされ、さあ次はどこへ行こうかとグーグルマップを開くと近辺に大きな公園があることに気付きました。とりあえずそこへと足を進めることに。
カレメグダン城址公園
ここは紀元前に作られた要塞でこれまで幾多の攻撃から街を守ってきた歴史があるとのことです。市内が一望出来る高台に位置しており、晴れた日の景色は最高だと宿のスタッフが教えてくれました。
内部は普通の公園のような広場と城塞でパートが分かれています。これは公園。
こちらは城塞です。
城塞として機能していた時代の名残として大砲もありました。今は使用されていないものの、異様な存在感です。
ひとしきり城塞を楽しんでからは下道に降り河っぷちを歩きました。気温は10度を上回り歩いていてもたまに汗ばむくらいでしたが、川端には流氷が溜まっていました。写真からも結構な面積があったことが伝わると思います。
水上レストランも周りの氷に覆われていました。
しばらく外にいると、夕方五時を境に結構冷え込んできました。急いでや宿へと戻り、夜ご飯の支度。料理中に一人の少年と仲良くなりました。
聞くところ、彼はアフガニスタンからの難民でやっとブルガリアからここまで来れたそうです。手にはドイツ軍から難民キャンプで支給されたブーツを大事そうに抱え、その子は自国から履いてきたボロボロのスニーカーを履いていました。ご飯を食べながら話を聞くと、アフガニスタンではどうしても暮らせなくなり、家族を置いてドイツを目指し国を発つことに決めたそうです。
「セルビアの人たちは僕らを受け入れてくる。本当にここはいい国だ。」と何度も言いながら、次の目的地ハンガリーを非常に怖がっていました。「友達が国境を越えようとした際、ハンガリーの軍が攻撃してきて入国できなかった。ドイツまであと少しなのに…」
話を聞きながら、自分の国境越えを思い出します。基本的には出国側、入国側でパスポートを提示して終了。それ以外には何も手こずることなんてありません。多少トラブルがあってもスタッフは”日本人だから”という理由で最終的には通してくれます。
今までは移民だったり難民のことなんて、どこか違う世界で起きていることで、正直気にも止めていませんでしたが、実際に会って話を聞くと信じられないほど存外に扱われながらも家族と別れ、生きるために自分の国を出た難民の方の心情を知り、今まで関心を寄せてこなかった自分を恥じました。
最後にアフガニスタンのことは好きなの?と問うと、
「もちろん、大好きだよ。もし内戦が終われば国に戻りたい。」そう言い放ち、自分の住処へと足を進めていきました。
この経験から日本は難民を受け入れた方がいいなんてことを言いたいわけじゃないけど、実際に難民と会うと関係が無いことにも思えなくなってきます。いやー国際問題は難しい。ただ、この子には無事に家まで帰ってほしいな。
その後は夜行バスの発着所まで向かい、バスに乗り込みました。ソフィアを経由して一気にイスタンブールまで移動します。所要時間は20時間。気合でがんばります。
総括
セルビアは他の東欧諸国と少し変わった異質な国だったように感じます。ヨーロッパぽくないと表現すればいいのか、廃れているというのか。建物も古いものが多く、全体的に活気が無い。警察が機能しているのかと少し疑ったほどです。難民キャンプの周りなどは正直近づくと危ないような雰囲気が漂っていました。
実際に難民の方を目にする機会なんて初めてだったため、少し恐れてはいました。しかし、上述したように話してみると訳もなく偏見を持っていたことがどれだけ失礼なことか思い知らされました。彼は謙虚で真面目ないい人でした。思いがけない場所でこのような出会いがあるのが、旅行の醍醐味です。この経験は絶対に忘れず生きていきたいです。
家計簿
2/1
朝ごはん
135円程度(140ディナー)
スプライト
60円程度(60ディナー)
コーラ
60円程度(60ディナー)
飯等々
485円程度(500ディナー)
バス代(ベオグラード→ソフィア)
2400円程度(2480ディナー)
宿代
570円程度(585ディナー)
total
3710円程度(3240ディナー)
2/2
バス代(ソフィア→イスタンブール)
2770円程度(45レブ)
タクシー代
1550円程度(50リラ)
宿代
560円程度(18リラ)
total
4880円程度(68リラと45レブ)
外寒かれど、湯は熱し(第13カ国目ハンガリー)
一日目
普段から夜行バスに乗りなれているおかげで、出発後はすぐ眠りに落ち、到着まで熟睡しました。ついにブダペスト。
旅行の始まる前からこの国は楽しみにしていました。理由としては二点。
・日本人はハンガリーでモテるとの噂
・ブダペストは温泉地として有名
本当かは定かではないものの、どちらも日本に住んでいる学生としては思わず興味を示さずにはいられないポイントです。
宿に着き次第、上記のことを尋ねてみると前者は鼻で笑いながらYes、後者に関してはExactly yesとの回答をいただきました。あんまりモテには期待しない方が良さそうです。
そうと聞けば時間のあった僕は近くの温泉の場所を調べました。電車でいくつかいった場所に街で一番有名なスパがあるらしい。行ってみました。
ブダペストには地下鉄が通っており移動が大変便利です。雪降りしきる街は5分歩くだけで芯まで冷えてしまいます。あー寒い。
積もる雪をガツガツ踏みながら到着。セーチェーニ温泉
日本では温泉といえば、茶色というイメージを個人的に持っているのですが、ここは黄色。美術館のような見た目が斬新です。
入ってみると番台のようなカウンターがあり料金を支払います。(2000円) 値段を聞いた時に少し払うのを躊躇してしまったものの、入ると決めていたためしっかり払いました。クレジットカード利用できるのは嬉しいポイントでした。
こんなポスターも。日本人でもハンガリー人でも「熱いお湯の中で冷たいビール飲むの最高っしょ」みたいな感覚は一緒です。謎の親近感。
内部構造は湯温の違う屋内浴槽が二つ、露天風呂二つ、サウナ一つでした。どこも混浴で水着着用が必須でした。
屋内浴槽は日本のように暖かくはなく、どこか気の抜けたぬるいお湯。無感温というのか、何時間入ってものぼせないくらいでした。どうしてもこの湯温が苦手で、すぐに場外の露天風呂に移動。
水面からは常に猛烈な湯気が出ており、異様な光景でした。地獄釜を思い出してしまいます。笑
久しぶりに浸かる湯は運動後のビールくらいの快感です。気付けば三時間も入浴してしまいました。
温まった体を冷やさないようにして帰宅。その後はバスの疲れもあって何もせず一日を過ごしてしまいました。
二日目
相変わらず寒い外。お金さへあるならばすぐにでも温泉に向かうのですが、生憎そんな余裕はありません。折角来たんだから観光しなきゃ。
昨日会ったドイツ人と外に出るのですが、寒すぎて観光どころじゃない。それくらい寒い。ブダペストの街を流れる川もご覧の通り。流氷が流れてるんです。
寒さの中観光名所を散策。(写真少なめ)既にヨーロッパ慣れしてしまっているため感動は無し。そんな自分が少し嫌になります。
歩いて回ること2時間。お互い限界を感じ、帰宅。
寒いとこんなに気力を削がれるものかと驚きました。どんどん無くなっていく足先の感覚と反比例して増えていく帰りたい欲。冬の東欧は観光には不適切ですね、、
三日目
今日はあるミッションを自分で決めていました。夜景を撮りに行く、です。ブダペストはドナウの真珠と称されるほど夜景が綺麗と評判です。折角来たからには行かなければ意味がない!そうと決まればフル装備の準備。
アウターにマウンテンパーカー、スウェットにジーパン、靴下も二枚重ねでいざ出陣です。
夜に見るブダペストは昼間とは全く違う表情をみせます。暖色系のライトが目を引く古くからの建築物はキラキラと光輝いていました。その姿はまさに真珠の名にふさわしいです。
ドナウ川にかかる橋セーチェーニ鎖橋が一番撮りがいありました。しびれる。
違った方向からも。
国会議事堂
装飾の美しい建築物とそれらを照らすライト達はカメラ小僧には格好の場です。寒い中同じように三脚を立て、シャッターを切る人を何人も見かけました。仲間意識を抱かずにはいられません。
四日目
比較的のんびり過ごしたハンガリー。ポーランドのように自国通貨が流通していて物価が安い。その割に街は整備され、都市として発達しているため大変過ごしやすい街でした。
今夜はブダペストから列車でセルビアのベオグラードまで移動。夜まで時間を潰し駅へと徒歩で向かいました。道中には世界で一番お洒落との評判のマクドナルドを発見。(携帯で撮影したため画像は粗め)感想は”普通”でした。
市街の東に位置するこの駅はかなり大きく、しっかりと外国人専用カウンターまで設置されいました。さすがはハンガリーと感心。
今後はトルコのイスタンブールまで一気に南下します。
総括
東欧でも最も知名度が高いと言われているハンガリー。理由はしっかりと整備された道や、観光地の多さ、交通網の発達が大きな要因のような気がします。個人的に楽しみにしていた日本人男性がウケるとの噂も実際に足を運んで見ると全くそんなことありませんでした。笑
夏の時期にはヨーロッパ中の若者がナイトライフを求めてこの地に集まるので、次はそのタイミングで訪れようと思います。そして、いつの日にか白人の美女を横に連れてセーチェーニ橋を闊歩してやる、、、!
1/28
温泉
1940円程度(5000フォーリント)
ビール等
155円程度(400フォーリント)
宿代
605円程度(5ユーロ)
total
2700円程度(5400フォーリントと5ユーロ)
1/29
1日乗車券
390円程度(1000フォーリント)
調味料等
390円程度(1000フォーリント)
ケバブ
290円程度(750フォーリント)
飲み会
270円程度(700フォーリント)
宿代
605円程度(5ユーロ)
total
2005円程度(3450フォーリントと5ユーロ)
1/30
ケバブ
155円程度(400フォーリント)
ビール等々
235円程度(600フォーリント)
パン
115円程度(300フォーリント)
宿代
円程度(5ユーロ)
total
1110円程度(1300フォーリントと5ユーロ)
1/31
ケバブ
155円程度(400フォーリント)
地下鉄
55円程度(140フォーリント)
ビール代
75円程度(200フォーリント)
スタバ
270円程度(700フォーリント)
夜行列車代(ブダペスト→ベオグラード)
1555円程度(4000フォーリント)
total
1840円程度(4740フォーリント)
アウシュビッツ収容所見学(第12カ国目ポーランド)
一日目
帰ってきました、東欧!
実は昨日は空港泊。一歩外に出ると、やっぱり東欧だ。寒い。ただ、幸いにもブルガリアにいた時のようなマイナス20度になることはありませんでした。これなら凍えずに生きていける。
ところで、現在いる場所カトヴィツェ(Katowice)ってご存知ですか?僕は全く知らずにある目的があったので、訪れたのですが、意外と大きな街でビックリ。聞けばポーランドを代表する工業都市とのこと。
何か特別有名な物がある都市でもないのですが、徒歩圏内で何でも揃う便利な街といった印象でした。物価も安いので長期滞在するには意外と心地いいかも。
話は少し遡って、先ほどある目的のためにカトヴィツェに来たと言いました。その理由とはアウシュビッツ収容所へ訪問する。です。
ここについては説明するまでも無いので詳しい説明は割愛しますが、ナチス率いるドイツによりユダヤ人が大虐殺された場所です。
ネットの情報によるとカトウィツから電車で一時間半で着くという噂だったので、ここに滞在に決めました。
電車の本数さえあれば今日行きたかったものの、タイミング悪く便が無かったため今日は街中で生活用品を買い揃えることにしました。ポーランドはユーロではなくズウォティが流通しており、物価は西欧諸国に比べ半分程度。安い。
二日目
お、、お布団の中から、で、出られない、、、、今日の朝は冷え込んでいました。
寒い中チェックアウトを済ませ、向かった先はカトウィチェ駅。オシフィエンチムのチケット(料金400円)を購入して電車の時間までしばし待機。
落書きだらけ汚い車両に乗ります。
こちらがオシフィエンチムの駅。一見大きく見える外観も駅校舎も本体はこの一区画だけ。
周りには驚くほど何もないため、本当にアウシュビッツがこの地にあるのか不安に駆られます。
しかし、現地の人に尋ねながら歩くこと30分。目的地に到着。
アウシュビッツは旅行会社のツアーで来るのが一般的らしく、駐車場には観光バスが沢山並んでいました。
クロークで荷物を預け入場。プノンペンのトゥール・スレンのように音声ガイドを借りようと試みたところ、無いと言われてしまいました。入場料も無料のため少し拍子抜けしてしまったというか、ここって歴史的にも重要な負の世界遺産じゃないのか…?
個人旅行客が入ることは珍しく、そのため音声ガイドの案内も無く、入場料も特別設けてないとのこと。ピークジーズンはツアーを通さないと中に入れないのが普通で、僕は時期が良かったらしい。
いよいよ入場。入り口には有名な表札が。このポップなフォントの表札の向こう側にはどれだけの犠牲者がいたことか。
内部は赤レンガのアパートのような建物が何棟も建っています。外見からは収容所とは思えません。レンガの赤、雪の白がマッチした綺麗な風景とは裏腹に当時残虐なことが行われていたなどとは、想像し難い。
ここで何が行われていたか、どのような言葉が記述してあるのかは他の人のブログやウィキペディアに任せます。気分悪くする方もいらっしゃると思うので。
何事も実際に現場に足を運ぶと、そこで起きた出来事が他人事ではなくなってしまうというか、思わず感情移入してしまいます。勿論、自分はユダヤ人でもなければ、ドイツ人でもなければ、政治家でもないのだけれども。
海外を旅行の利点はそんな部分にある気がして、今まで訪れた国、関わった人にまつわる事件やニュースなどには嫌でも関心を持ってしまいます。学生である以上、そのような感覚は大事にして、学びに生かしていきたいところです。
やや話は逸れましたが、収容所を後にしバスでクラクフへと向かいました。ここからは次の目的地ハンガリーのブダペスト行きが出ています。
時間まで駅周辺をぶらぶらし乗車。次の国では温泉が待ってる!期待に胸を躍らせ、眠りに付きました。
総括
前々から行きたかったポーランドアウシュビッツ収容所。足を運ぶことが出来て良かったです。本当はワルシャワから入ろうと計画を建てていたものの、思いの外距離があって高かったため断念していました。
聞けば、他にもこの国には美しい観光名所が沢山あるらしく、もっと時間があれば行ってみたかった。親日との評判もあるため絶対楽しめるはず。次に訪れる際には夏にもっと余裕のあるスケジュールを組んでリベンジしたいです。
家計簿
1/26
朝ごはんのサンドウィッチ
290円程度(10ズウォティ)
市内までのバス
720円程度(25ズウォティ)
昼ごはんのピザパン
230円程度(8ズウォティ)
チェーンロック
545円程度(19ズウォティ)
南京錠×2
345円程度(12ズウォティ)
カラビナ
85円程度(3ズウォティ)
ネックピロー
575円程度(20ズウォティ)
パスタ等々
290円程度(10ズウォティ)
宿代
920円程度(32ズウォティ)
total
4000円程度(139ズウォティ)
1/27
昼ごはんのサンドウィッチ
115円程度(4ズウォティ)
アウシュヴィッツクローク利用料
170円程度(6ズウォティ)
バス(アウシュビッツ→クラコウ)
400円程度(14ズウォティ)
マック
290円程度(10ズウォティ)
total
980円程度(34ズウォティ)
ボーノ!ブラボ!イタリア!前編(第10カ国目:イタリア)
ブラボ!(凄い!)
ボォーノ!(美味い!)
アモーレ!(恋人)
僕達の生活に馴染んでいるこれらの言葉は全てイタリア語。普段から僕らはアルファベットをローマ字読みしますよね。そのため言葉の音は日本人にとって聞き取りやすく、発音もしやすいのが特徴的な言語です。
ということで、今回はイタリア編。イタリアといえば、ローマ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネチアなど一度は足を運んでみたい綺麗な町並みが沢山あるイメージですね。非常に楽しみです。
ローマ
アテネからの移動ということで後ろめたさありつつも次はローマでいい出会いがあるはず、と期待して飛行機に搭乗、二時間でローマに到着です。
空港から中心地まで少し距離が離れているため、バスで移動。ターミナル駅で下車してから感じたのはなんともいえないスラム感。
周りにはイスラム系の客引きや落書きなどがあり、アテネよりよっぽど怖かった。曇りの天候も気味悪さを助長します。
ホステルでチェックインを済ませ、この日は休みました。
二日目
ローマ滞在期間はわずか三日。そのため、観光したい場所は今日全て回るしかない。
入念にルートを決めいざ、出発です。
本日はコロッセオ、真実の扉、バチカン市国、スペイン坂の順番で観光してきました。
生コロッセオ。日本だけでなく、世界各国から観光客が集まっています。この構図は歴史の教科書でみたことありますよね。
こちらは真実の扉。ここは日本人、中国人、韓国人が多かったため特にアジアで人気が高いスポットなのかも。写真撮影の列に並んでいると係員が「お前が嘘ついたことあったら手を食いちぎられるぞ」とジェスチャーで教えてくれます。笑
画像
バチカン市国の入り口。今まで見てきた観光名所の中でもトップレベルの大きさ。陸上競技場の400Mトラックと同等の広さです。今回は入場料の関係で断念してしまいましたが、次こそは中へ入りたい。
ラストはスペイン坂。何故ここが有名かというと、いわずと知れた名作オードリーヘップバーン主演の「ローマの休日」のワンシーンが撮られたためです。作中ではオードリーヘップバーンがこの坂でジェラートを食べながらデート相手を待っていました。
僕も誰かを待ってるフリをしてみます。
これにてローマ観光終了。世界屈指の観光スポットはどこも観光地化されていて歩きやすい。
家計簿
1/17
バス(アテネ市内→空港)
605円程度(5ユーロ)
バス(空港→ローマ市内)
605円程度(5ユーロ)
ケバブ
545円程度(4.5ユーロ)
お酒
605円程度(5ユーロ)
宿
1880円程度(15ユーロ)
total
4200円程度(34.5ユーロ)
1/18
コロッセオ
1460円程度(12ユーロ)
お昼ごはん(ピザ)
605円程度(5ユーロ)
バス代(ナポリ→ミラノ)
2675円程度(22ユーロ)
夜ご飯(ピザ)
730円程度(6ユーロ)
お酒
365円程度(3ユーロ)
宿
2310円程度(19ユーロ)
total
8150円程度(67ユーロ)
ボーノ!ブラボ!イタリア!後編(第10カ国目:イタリア)
三日目
ローマ観光もひとしきり終わったので、今日は次なる目的地へ移動。
ピザの発祥地で有名なナポリに電車で向かいます。
ここからは二時間程度列車に揺られるのですが、チケット代は10ユーロ(1400円)
イタリアの景色をのんびり眺めるもよし、寝るのもよし。これはお値打ち価格だと思います。
本日はカウチサーフィンを使用し宿を探していたため、空港到着後はホストの家に向かいました。実際に会ってみると1個上の大学生だったので、一安心。
荷物を置いて街歩き。
ローマよりはマイナーであり、田舎なので物価は少し安めです。とことこ歩いていると、なにやら不思議な形の城が見えていきました。名前はカストルヌオボ
ここは昔のお城のようです。ちなみに、今日は中のホールでイタリアのモデルのための研修会が行われていたおかげで、イタリアの綺麗な女性達が沢山いました。超かわいかった。
お次もお城、カストルオーヴォ。城内にある卵が割れた時はこの城が征服された時である。という言い伝えから別名卵城と呼ばれています。
ここから眺める夕陽と夜景は圧巻です。
ナポリは地中海に面した港町のため夜になると街灯の明かりが水面に照らされて幻想的な光景になります。
こうして綺麗な町並みに見惚れるのも束の間、気温はグングン下がっていき、マフラー、ダウンの重装備でも凍えるほど冷え込みました。
冷えないように小走りで帰宅し、夜はホストの方とナポリの学生が集うパーティーのようなイベントにお誘いいただいたので、そちらに参加。
名前は「Brizilian Night」
当初はイタリア人のホストと日本人のゲストが何故、、、と考えたものの、参加してみるとただの国際交流パーティー。様々な国ごとに分かれたテーブルを囲み飲みながら会話を楽しむフランクなイベントでした。
このイベントでナポリに留学してる一人の学生が次の日街を案内してくれることになりました。
四日目
前述の通り今日は一人の学生に街をガイドしてもらいます。
街の中心で待ち合わせをし、合流。まずはナポリといえば、、、
ということで、ピザではなく、ピッツァ屋さんに連れてもらいました。何でもこのお店
は聖地ナポリでも一位、二位争うくらいに人気店らしい。このために朝ご飯を抜いてきています。気合十分。
このデカデカとしたピザにトロトロに溶けた真っ白なモッツァレラチーズ。「我輩がナポリピッツァである」とでも言わんばかりの堂々とした佇まいに胸が高鳴ります。
日本では大きなホールをケーキのように切り分けて食べるのが一般的ですが、こちらでは一人一ホール丸々食べます。しかも直径30cmはあろうかという大きさです。
しかし、いざ食べ始めると手が止まらない。生地は薄め。触感はモチモチ。見た目とは裏腹に味はあっさりしていて何個でもいけちゃう軽さです。
彼女曰く「ナポリ人が好きなピッツァは何個でも食べられて後に残らない、”軽い味”」だそうで、食べながら納得。つい、二つ目を頼んでしまいそうでした。
「昼ごはんにピッツァを食べたなら、その後はエスプレッソで締めるのがナポリ流。」そう薦められ、スタバでもアイスコーヒーしか頼めないコーヒー音痴の僕が近くのカフェへ。
小さいコーヒーカップに注がれた濃っっゆいコーヒーに砂糖を入れ、一気にゴクり。口いっぱいエスプレッソの芳醇な香りが広がります。それから隣に置いてある水、ではなく炭酸水を飲みます。今度はコーヒーの香りがスッと消え、口の中はすっきりとリフレッシュ。
ピザで腹を満たし、エスプレッソ締めで気分転換を図る。そうしてナポリの人々は午後から仕事に勉強に勤しむのでしょう。
気持ちも入れ替えて、僕らはナポリ観光。この旅を通して高台が好きになった僕はポジリポの丘に向かうことにしました。坂道を歩くこと1時間、到着。
世界三大夜景とも称されるここからの景色は日中でもこの迫力です。僕が驚いたのは写真の右手に見える富士山のような山。これはヴェスビオ火山という活火山。見慣れた光景が目の前に現れると日本が少し恋しくなります。あと旅行も二ヶ月か、、、。
様々なことについて彼女と話していると、ありきたりな表現ですが、日本がいかに恵まれた国なのかよく理解できます。料理は美味しいし、選ばなければ職に困ることはないし、Wi-fiは超早いし、アルバイトすれば海外旅行に行ける金も稼げるし、トイレにはウォシュレット付いてるし、恵まれなくてもホームレスは生きていけるし。
こんなに気軽に生きていける国はどこの国を見渡しても無いのかもしれません。もっと危機感を持って日々の生活をしていけ無ければなと、自戒の念も込めて。
そうこう話しているうちに、夕陽が綺麗な港に着きました。記念に一枚。普通の写真なのに雰囲気有り気です。これがナポリパワーかもしれない。
ここで一日中ガイドしてくれた彼女ともお別れ。
ナポリ最後の晩餐はこれまたピッツァ。ホストの方が午前中に行ったピッツァ屋さんと双璧を成すもう一つの美味しいお店へと案内してくれることになったため任せることに。
一見普通の食堂のような外観の店内には大きなかまどが一つ。僕たちは開店と同時に入店したため並びもなくスムーズに入れましたが、5分もしないうちにフロアは満席に。
ここでもマルゲリータを頼み、しばし会話しながら待ちます。この子は大学で日本語を専攻していて、日本にも3週間ほどインターンで遊びにきた経験があるそうです。
そうこう話しているうちにピッツァは到着。
顔と比較してみるとこのような感じ。これでも女性がペロッと一枚平らげる量です、隣の男性は二枚食べてました。
味の方は昼に食べたものと比べて全体的に濃厚な味付けと生地の厚さが特徴的で、夜ご飯にはピッタリのボリュームでした。美味かった。
最後の晩餐を終えた僕らはここでお別れ。二日間本当にお世話になりました。カウチサーフィンは現地の”生”の情報が得られること、語学力の向上、現地の友達が出来るの三要素が魅力的に感じました。興味のあるかたは是非ご利用されてみることをオススメします。忘れられない思い出になるはず、です。
これからは夜行バスに乗り込み、サッカーとファッションの聖地ミラノへと移動します。
五日目
バス内ではしっかりと熟睡。夜行バスは21ユーロと安めの料金設定にも関わらず、リクライニングは寝るには十分なほど倒れ、Wi-fiも通じる快適なものでした。
ミラノに滞在する日数は二日。実はこの街にはそれと言って有名な観光地が少なく、街全体の雰囲気を楽しむのが吉とのネット情報。
とりあえず早朝に着いた僕は宿でWifiを使いながらしばし休憩。疲れも溜まっていたためこの日はPC作業などをして終了。明日から動こう。
六日目
長くいたイタリアも残すところ二日。今日はしっかりミラノを観光しよう。宿で朝食を済ませ、いざ出発。最初の目的地はドゥオーモ(ミラノ大聖堂)ゴシック建築の中では世界最大級らしい。
この聖堂を中心にミラノの街は四方八方に広がっています。中でも特徴的なのが、多くの道が湾曲しており、そこをトラム(路面電車)が走っていること。
デザイン性の高いレトロな装飾の建築物を眺めるだけでも十分楽しいものの、やはり一番の楽しみは街を歩いているイタリア人のファッション。一般人なのかモデルなのか見分けが難しいレベルのお洒落な人達で溢れています。
ストリートパフォーマーもこの通り。持っている楽器はのこぎりのような物で薄い鉄板をバイオリンのようにして弾きます。僕がやったら馬鹿にされること間違い無しなんですけどね…。絵になるなあ。
そしてディズニーランド、ワールドバザールの舞台になったここ!ガッレリア
プラダの本店があるお洒落な商店街です。
町並みもさることながら、ミラノ中心街にはお洒落なショップがずらりと並んでいたため、ついついバックパッカーであることを忘れウインドウショッピングに時間を費やしてしまいました。気付けば日も落ちて夜に。
夜の街もまた雰囲気があっていい感じ。
あまり遅いと次は治安の面で少し怖いため、早めに帰宅。ミラノは歩いているだけで自分が絵の一部になったような、気分を味わせてくれる街でした。次は旅行で行ってしっかり買い物したいですね…。笑
七日目
今日でイタリアも最後。この後は一度バルセロナに行き私用を済ませ、ポーランドへとフライトです。実はこれで西欧ともお別れです。物価の安い東欧に行くのは懐事情的には嬉しいのですが、なんせ今の時期寒いのが難点です。
総括
長きに渡ったイタリア編。これでもベネツィアやフィレンツェなど有名な都市には行けていないため、改めて観光地の多さを感じます。僕自身、最初の計画段階ではさして行く気も無く「服が好きならイタリアには行った方がいい!」と友人の薦めで訪れることを決めましたが、正解だったなと。
期待通りのお洒落さはさることながら、イタリア人の気風がお洒落で格好良かった。紳士でいてかつ、誰にでも話かけるフレンドリーさ、男女関係無く気遣いが出来る点など、全てが服装にマッチしていてキマッていました。
そこでふと、有名なコンゴお洒落集団サプールのファッション哲学を思い出します。
”彼は、サプールであるためには教養を身につけ、フランス語を流暢に話し、何よりも強い倫理観を持たなければ考えている。つまり、スマートで高級な衣服の内側には、真摯かつ高貴な人間性が備わっていなければならないのだ。”
これはイタリア人にも共通している哲学かもしれません。そして、いつかは僕もこうなろうと心に決めました。
トイレ
お久しぶりです。トイレです。インド編を後にし、長らく更新が止まっていたトイレコーナー。ヨーロッパに入り日本と変わらない形を目にすることが多かったため特に更新していなかったのですが、、、、、イタリアは違いました。
出ました、便器無しスタイル。トイレットペーパーは付いているものの、肝心の座る場所がありません。なんで付けないのだろうか…、いたずらで壊されてしまったのか。それとも予算の関係なのか。いずれにしろイタリアを訪れる際は皆さんお気をつけて。ヨーロッパだと油断すると痛い目に合います。
家計簿
1/19
朝ごはん(マック)
245円程度(2ユーロ)
昼ごはん(ケバブ)
605円程度(5ユーロ)
カストル・ヌオボ
730円程度(6ユーロ)
パーティー
1215円程度(10ユーロ)
total
2795円程度(23ユーロ)
1/20
昼ごはん(ピッツァ)
730円程度(6ユーロ)
ケーブルカー
245円程度(2ユーロ)
夜ご飯(ピッツァ)
1215円程度(10ユーロ)
total
2185円程度(18ユーロ)
1/21
地下鉄回数券
1020円程度(8.4ユーロ)
コインランドリー
972円程度(8ユーロ)
お酒
485円程度(4ユーロ)
宿代
1820円程度(15ユーロ)
total
4250円程度(35ユーロ)
1/22
コーヒー
365円程度(3ユーロ)
お昼ごはん(ケバブ)
485円程度(4ユーロ)
お酒
180円程度(1.5ユーロ)
宿代
1820円程度(15ユーロ)
total
2795円程度(23ユーロ)
1/23
バス(市内→駅)
605円程度(5ユーロ)
昼ごはん(ケバブ)
605円程度(5ユーロ)
水
120円程度(1ユーロ)
航空券(バルセロナ→カトヴィツ)
10940円程度(90ユーロ)
total
12275円程度(101ユーロ)